トイレマーク見てある記

タウンウオッチングだと言い訳しても
エロ爺だろう!の視線を浴びて

 
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大熊昭三(おおくま しょうぞう)
1928年、埼玉県生まれ。名古屋陸軍幼年学校を経て、1951年東京教育大学文学部卒業。愛知県半田高校、北海道帯広三條高校、川崎橘高校、川崎高津高校教諭を歴任して現職を終わる。
その後、専門学校の講師を勤める。その間、多くの山に登り、アフリカに遠征してキリマンジャロやルエンゾリに登頂。
教育評論家としてTV出演、週刊誌などでも活躍する。
主な著書
「こんな教師を告発する」「組合教師亡国論」(エール出版)「学校は汚染されている」(潮文社)「恐るべき親たち」(コンパニオン出版)、共著「日教組を斬る」「日本をダメにした学者・文化人」等、著書多数。

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2013年06月28日(金曜日)更新

第346号 どこをみてもトング JR横浜駅北側

 私も小学生の頃、授業で球の動かし方などの基礎的なことを教わらなかったような気がする。勿論、そろばん塾に行くほどのこともなかった。あとになって考えてみれば一の球、五の球の動かし方や、問題をみて頭の中で暗算をする、そういう能力が必要であり、かつそれが伸びるということが事実だったのだ。英語教育よりそろばん。それが大事かもしれない。話はとぶ。私は老人介護の身なので、メモ用紙片手に、スーパーなどへよく買物に行く。くだものや野菜などはムキ出しで並んでいる。和菓子類、大体が袋入りである。昼の弁当。おかず類。この台に並んでいる揚げ物など。ピンセットの親玉みたいなものではさんで袋に入れる。あれが「トング」という道具であることを今になって初めて知った。箸類などはどこにも無い。魚の切身も、家庭で天ぷらをあげるときも(テレビで見た)あのトングが大活躍なのだ。
 

2013年06月21日(金曜日)更新

第345号 ノンアルコールで水 JR横浜駅北側

 バンコクからクエート航空に乗った。タバコが遠慮しながらも何とか喫えたころの話である。下戸の私だが、ワインくらいは飲みたいもの。しかしクエートに着くまでの十数時間ほどの間、飲み物は「水」だけであった。イスラムの国では、旅行者も例外にしてはくれなかった。しかし、トルコは当時、世俗派が権力を握っていた。首都アンカラだが、私たちに最も親しみやしい街はやはりイスタンブルであろう。ホテル内では当り前だが、街中でもアルコール類は普通に売られていたし、人々も飲んでいた。女性の肌もごく当り前に目にすることが出来た。しかし今のエルドアン政権は違う。メディアがしめつけられ、報道の自由はなくなった。人々は世俗派の大らかさが恋しいのか。親日国家トルコが一日も早く、以前のような住みやすい国に戻ることを祈るばかりだ。そのトルコで、日本の「そろばん」がブームになった、子供たちに教えられているという。
 

2013年06月14日(金曜日)更新

第344号 虚実皮膜論 つるみ駅シアル4F

 時折、梓氏の小説が原作のドラマが、テレビで放映されることがある。渓流ぞいの道を、ザックを背にした刑事が走ってゆく。「ウソだ」と叫びたくなる。食料や衣類、炊事用具などをつめたザックは、普通10キログラムから20キログラムになる。それを背にして走ってみて下さい。軽やかには走れない。どうしてもザックの重みにひっぱられて、右、左に振られて走ることになる。ハイキングなど、少しでも経験のある方なら、体験していらっしゃるから、分かることであろう。ドラマではそれらしく見せるためにザックを背にしたのであろうが、多分中身は発泡スチロールか何かであろう。ウソは止めた方がよい。花伝書だったかに「虚実皮膜論」ということばがある。虚であっても実にみせる演じ方をいう。先般亡くなった俳優さんは老人を演じるため歯を全部抜いたという。その気構えが欲しい。基本は変わらないが、少しどこかを変えてみる。トイレマークにもそんな遊びが欲しい。
 

2013年06月07日(金曜日)更新

第343号 山での犯罪は? つるみ駅シアル4F

 電子書籍は時の流れだろうが、私はやはり「本」=活字が何よりだ。しかし、「山」にかかわりのある小説類はみなかった。作家はあまり登山をしない。例外的な存在が「新田次郎」氏だった。「八甲田死の彷徨」「孤高の人」など。わけても、修学旅行のため、木曾駒ケ岳に登った、中箕輪小学校の校長や児童たちが、暴風雨に遭って遭難死した事実。それを小説にまとめあげた「聖職の碑」には、同じ教職にあった身として、深い感動を覚えたものである。 大正二年。まだ天気予報も不確定要素の多い時代。登山整備も用具も、今のような良いもの、確かなものがあったわけではない。死んだ引率者を責めるわけにもゆくまい。今は「推理小説」というジャンルで、梓林太郎氏が多くの本を書いている。山で犯罪があってはいけないが、小説だから許されることだろう。読みながら、かって自分が登った地形などを思い出しては読書の幸せを享受していた。
 

2013年05月31日(金曜日)更新

第342号 三浦さんは立派 つるみ駅シアル4F

 新聞には「冒険家」と書いてあったが、何とお呼びすれば失礼にならないか。三浦雄一郎さんが八十歳という高齢で、エベレスト登頂に成功したという快挙。最高齢での登山、もちろん世界記録である。八五〇〇メートルの第5キャンプを出て、約七時間かけて八千八百四十八メートル、世界の最高峰、頂点に立ったという(中国名、チョモランマなどと新聞は支那におもねった表現をするが、そんな必要は全くないし、昔から、世界どこへ行っても、エベレストはエベレストである)。 勿論、多くの人たちのサポートがあって成功したのであって、三浦さん一人の力で出来るものではない。しかし最後は三浦さんの体力、意志の力であり、三浦さんの脚が動いて頂上を踏まなければ「成功」とはならない。登山家の端くれとして生きてきたが、狭窄症という病のため低山歩きもままならない。嘗って登ったキリマンジャロやエンゾリなどの姿を想いうかべて、我が傷心をひそかに慰めるのみ。
 
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