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2012年12月21日(金曜日)更新
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第321号 はじめての我が家 相鉄 瀬谷駅
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長女はまだよちよち歩き、樺太(旧)育ちの妻はいきなり、未知の土地内地へ。夜半に帯広を発って翌々日早朝に上野に着く。そのまま川崎へ。家主の敷地内に建てられた、一部屋に台所つきの、文字通り掘ったて小屋である。まだ住宅難の時代だったから、我慢するしかない。もう少し広い所を、ということで、横浜のはずれに移転。今度は部屋借りである。玄関の間をふくめて二間。そしてすぐに、東京の大学に入学した帯広の教え子が同居を始めたので、また狭くなった。宝くじに一度も当たったことがない私が、県営住宅の抽せんに当たったのだから、我ながら驚きであった。横浜のはずれ。山林などを切りひらいて建てられた二階建てのテラスハウス。庭のある家。公営とはいえ、自分名義の家である。それが『瀬谷』である。老体をいたわってクラス会をここ、思い出の地でひらいてくれてありがとう。五十年がかりの風の匂いをかいだ。駅はすっかり変わっていたけど。
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2012年12月14日(金曜日)更新
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第320号 下宿転々 相鉄 瀬谷駅
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そして北海道帯広へ。切符を買うと受けつけて送ってくれるチッキという制度(今でもあるのかどうか。今はクロネコヤマトなど、トラック輸送が早くて確実なのかもしれない)で荷物(布団や下着類、本など)を送ってもらった先は、叔父の知人の家であった。しばらくここで暮らしたあと何とか下宿屋を見つけて移り住む。洗濯は自分でやる。朝晩の料理をしないですむのはとても気が楽である。しかし氷点下二十度の寒い冬を石炭ストーブで過さなければならない。生まれて始めての経験である。雪がとけないのも不思議な光景だった。石炭手当というのも妙な体験だった。もう一回、下宿を移ったあと、職員寮の一室があいて、そこへ入居することができた。北海道ではありがたことに職員寮というのが完備していているようだった。たとい一部屋でも自分の部屋である。部活帰りの生徒が寄ってはおしゃべりしてゆく。そこで二回の冬を越してから内地へ帰った。
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2012年12月07日(金曜日)更新
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第319号 女子寮に下宿 相鉄 瀬谷駅
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白衣を着た傷痍軍人が、アコーディオンをひいて物乞いする光景がごく当り前であった。戦争の傷あとがあちこちに残っていた時代。名古屋から復員した私は、何の因果か、再び愛知県に、一教師として赴任することになった。武豊線にのりかえる長の旅。校長に案内されて着いたのは、知多半島のはるか沖にある、篠島や間賀島から来ている生徒たちのための女子寮であった。下宿屋ではないから、掃除、洗濯、そして炊事もすべて自分でやらねばならない。まだ食料難で、食堂もあまり見当たらない。七輪で火をおこして炊事、コンビニもスーパーもないからおかずも作る。洗濯物は五〜六歳年下の女子高生の眼があるから夜やって室内に干しにした。何より居心地が悪い。U君という老舗菓子店に生徒と一緒に遊びに行く。女子生徒のグループに誘われてNさんの家へ遊びに行き、とうとう夜は雑魚寝で朝帰り。今なら絶対に免職ものですね。今ごろ反省しています。
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2012年11月30日(金曜日)更新
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第318号 医者が青くなる 横浜西口Tビル
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古語の、あることば成立の場合「だ」が「の」を意味することがある。「毛のもの」が「毛だもの」「毛もの」になる。木になるので「木のもの」が「木だもの」「くだもの」と変化する。山梨、長野、福島、山形などはまさに「くだもの王国」である。梨やぶどうは盛りをすぎて、今はりんごや柿が店頭を飾り、盛大に並べられている。子どもの頃、友人に梨屋の子がいて、遊びに行く(というより目的は別)と、いつも帰りにいくつか持たせてくれた。柿やぶどうは家の庭先に植えてある木がいっぱい実をつけてくれた。さすがにりんごはなかった。そしてくだものの名は変わっても果物であることに変わりはない。「りんご(柿)が色づくと医者が青くなる」誰もが知っていることばであり、しかも真実である。さて、ここまで3号のマーク。中にいるとビル内にいる感じがない。しかもトイレは男女、全く別のところにある。怪しまれそうなので、女子トイレの方には行けなかった。
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2012年11月23日(金曜日)更新
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第317号 売れる「わけあり品」 横浜西口Tビル
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スコットランドの首都エジンバラから列車に乗り、隣の駅まで普通に走って約三十分。そう、リンリスゴウという隣町までの間には駅は一つもない。友人を訪ねて行った私は、少し町を見物してからと、すぐそばのスーパーに入った。日本と似たような品揃え、私はりんごを一つ買った。日本で言えば「わけあり」商品のような、艶の悪い、ボコボコしたりんごである。あとで食べたら、よくこんなまずいものを売るもんだ、食べるもんだと、少し腹が立ってきた。日本のりんごの何と美味しいことか、東南アジアで少々高くても、よく売れるという理由は美味しいからだろう。子どもの頃、「百匁柿」とか「身しらず」などというのが、我が家の庭にあった。今は「種なし柿」が全盛である。あと大ぶりの「次郎柿」、そして王者「富有」となる。それらが姿を消すころ、「ころ柿」「干し柿」という加工の出番となる。でも「禅寺丸」などの小粒柿が恋しくなる。
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