トイレマーク見てある記

タウンウオッチングだと言い訳しても
エロ爺だろう!の視線を浴びて

 
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大熊昭三(おおくま しょうぞう)
1928年、埼玉県生まれ。名古屋陸軍幼年学校を経て、1951年東京教育大学文学部卒業。愛知県半田高校、北海道帯広三條高校、川崎橘高校、川崎高津高校教諭を歴任して現職を終わる。
その後、専門学校の講師を勤める。その間、多くの山に登り、アフリカに遠征してキリマンジャロやルエンゾリに登頂。
教育評論家としてTV出演、週刊誌などでも活躍する。
主な著書
「こんな教師を告発する」「組合教師亡国論」(エール出版)「学校は汚染されている」(潮文社)「恐るべき親たち」(コンパニオン出版)、共著「日教組を斬る」「日本をダメにした学者・文化人」等、著書多数。

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2016年06月03日(金曜日)更新

第486号 数学旅行は海外へ センター北駅

 広島、長崎が学習の場になり、近くの津和野や雲仙がコースに加えられる。旅館側も増築、風呂場を広くして、折角受け入れ可能な態勢を整えたのに、やがて修学旅行は「体験学習」という名目で、農村への民泊。そして農作業のお手伝い。スキーが主たる目的の修学旅行もはやった。やがて、もはや戦後ではない。海外旅行が自由化され、香港へ、ハワイへ、きそって出かけて行く。公立ほど規制のない私立校などでは、一機でまとめられるから、能率的という理由で、沖縄へ、台湾へ、そしてハワイへ、アメリカ西海岸へと、修学旅行も年々盛大になってゆく。地図をみて分かる通り、九州の学校などは、東京に来るより、沖縄や韓国、あるいは台湾の方がはるかに近い。そしてそれらは、かって日本国内の観光地へ出かけた修学旅行の海外版とでも言うべきものであろう。それらがブームになる前に、私は現職を去った。海外へは、退職後ひとり旅で出かけることになった。
 

2016年05月27日(金曜日)更新

第485号 旅行が学習の場 ブリュッセル南駅

 目指すは別府、ここから船に乗って、瀬戸内海航路を寝てすごし、早朝、神戸に到着。ここから東海道本線の電車で東京へ。個人で行ったら、どのくらい旅費、宿泊費などがかかるだろうか。校務で出張ということで、全部、自治体が出してくれる。責任は重いし、クラスの生徒たちの健康状態に気をつかい、他校とのケンカなども無いようにしなければならないし、旅行が終って、我が家に土産を持って帰って来た時などは、本当にがっくりと寝てしまいたい程である。この「修学旅行」という行事は、生徒たちの楽しみの一つでもあり、学校行事の大きな目玉でもあるが、外国ではやらないらしい。しかも、面白いことに、この修学旅行にも、はやりすたりがあるようで、観光から学習へと変わってきたのである。「戦争反対」「核、廃絶」をスローガンにする組合の力が強くなり、ヒロシマ。ナガサキが、修学旅行の学習の場になってきたのである。
*写真はブリュッセル南駅のトイレマーク
 

2016年05月20日(金曜日)更新

第484号 九州はゴールデンコース ブリュッセル南駅

 だから、その学校に二十年勤務していれば、三回か五回くらいの担任を経験するし、兄弟を受け持つ場合もありうる。当然、修学旅行の中身も少しずつ変化してくる。川崎の学校ではまだ、観光旅行的な要素が強かった。京―大阪は中学時代にすませ、高校は九州へ、という時代。まだ、新婚旅行はヨーロッパへ、ハワイへ、という時代ではなく、宮崎の青島などが、新婚旅行のメッカとされていた時代である。東京駅から一路、九州を目ざす。佐賀の波佐見などで、焼きものを見学してから長崎に入る場合もあったし、直接、長崎に入って、原爆のすさまじさに胸をうたれる場合もあった。私は少々我がままを言って、虹の松原から、嬉野温泉に入るコースをえらんだ。長崎から雲仙へ。天草から熊本にわたり、一路南下する。指宿温泉に行くコースと、宮崎、青島で南国情緒をたのしむコースになる。それから北上して高千穂峡から阿蘇の草千里へ。瀬之本高原へ行くか、竹田を通るか。
 

2016年05月13日(金曜日)更新

第483号 友人にまで頼む ブリュッセル南駅

 建て前上、修学旅行の引率や、部活動での対外試合引率などは、二十四時間、寝ている間も、担当教師に責任がある、ということになっている。食べ物アレルギーもあれば、銭湯に行ったことがないから、皆と一緒に風呂に入ることが出来ないとか、自分の部屋で寝ていたから、大勢の中では眠れない、などまさに十人十色で、いろいろな生徒がいるものだ。五十人の生徒たちの体調などを完璧に把握するなど至難のわざだが、その努力は欠かせない。旅行社に一応頼んではいるが、京都などで開業している、軍の学校時代の友人にも念をおして頼んでおいた。
 学校によって、その理念なり、習慣なりも少しずつ異なるから、一概には言えないが、一年の担任を持って、そのまま持ち上がり、三年経ち、卒業を見届けて、その後一〜二年は担任を外れて、又、新しい気持ちで一年の担任になる。そういう運営方法が一般的ではなかろうか。
 

2016年05月09日(月曜日)更新

第482号 ユーロスターに乗りたい ブリュッセル南駅

 国土を造った大堤防を歩いてみたり、目路の限り咲き誇るチューリップにことばを失い、日本から持ち帰った種が成長したシーボルト公園の木々に酔う。そしてナポレオンが敗れたというワーテルローの大平原。あとは小便小僧や楽器博物館などを見て、ワッフルを食べたブリュッセル。かって英国の技術で日本の鉄道は造られた。青函トンネルを造りあげた日本が、ドーバーをくぐるユーロスターのお手伝い。そんな旅をした、十年以上昔の旅を想い出す。NYの、同時多発テロはいまだ記憶になまなましい。そしてロンドン。パリ。今度はブリュッセル。多くの市民がテロの犠牲になった。ごく普通の市民がテロに狙われる。私はテレビに映るブリュッセルの街並みをみて、ただ祈りを捧げることしかできなかった。私はこの、南駅からユーロスターに乗ってイギリスへ向かった。快適な旅だった。テロのない、そしてユーロスターの旅が快適であるような日常でありたい。
 
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