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2012年07月27日(金曜日)更新
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第301号 ロータリーは回転式 横浜駅ロータリー行き
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こうした日本風の呼び方を、その家庭の一番幼い者からみた言い方だとして『年少者中心主義』と教授は呼んでいる。「お姉ちゃんに借りておいで」とは、お母さんのお姉ちゃんではなく、一番小さい子のお姉ちゃんである。それは法律上、戸籍上の父や母、姉ではなく、その家庭の中での「お父さん」という立場。お姉ちゃんという場所を意味しているのだ。やがて子どもが成長して家を出て行き、夫婦二人だけの日常となる。そんな老後になったらなおのこと、名前で呼んだり、「ダーリン」などと呼ぶのはかえって恥ずかしいだろう。老夫婦は「お父さん」「お母さん」と呼び合うのが一番似つかわしい。
ところで『ロータリー』本来の意味は「回転式」ということだが、外来語として入ってくると、日本では「交差点の中央にある円形交通整理施設」という使い方が一般的になってしまった。横浜駅西口、ロータリーわきにある、目立たない公衆トイレです。
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2012年07月20日(金曜日)更新
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第300号 お父さん ジイジ 横浜駅ロータリー行き
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子どもたちがある程度の年齢になると、「おい、母さんや」呼んだ方が落ちつく。そして平和な、家庭らしい空気が感じられる。「さあ、お父さんが何て言うかしらねぇ」と言われて「オレはお前の父親じゃない」などというのはへりくつである。「ねぇ、ボク、ケイタイが欲しいな」「わたしも」と言われたお母さん。「ねぇお父さん。あなたからルールなど説明してやって下さい」こういう呼びかけの方が、ごく普通の家庭の姿ではなかろうか。「ねぇお父さん、今度の日曜日に、久しぶりでおじいちゃん(ジイジ)の所へ行ってみましょうか。喜ぶわよ」このおじいちゃんとは、自分の父親のことである。
話ははるかな昔に戻る。私は登山隊員としてアフリカに遠征した。手始めにエチオピアのラス・ダシャンに登山。そのあとで、ハイレ・セラシェ大学で教えていた鈴木教授に学内を案内して頂いた。教授は帰国後、日本語に関する著書を書かれた。三十年以上昔のこと。(以下、次号)
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2012年07月13日(金曜日)更新
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第299号 名前で呼ぶか 横浜駅ロータリー行き
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おじいさんに相応しい男性が、パンフレットらしきものを手にして、家の中へとびこんできて、家の中でどこかにいるであろう奥さまに「お〜い、母さん」と呼びかける。決して自分の本当の母親を呼んでいるのではないことが様子で分かる。(名の知れた役者なのだろうが、この方面に全くうとい私だから誰方であるか全く不明)そんなCMを時折テレビで目にする。
奥さんを呼ぶのに「母さん」とは何ごとと、へりくつを言うなかれ、大部分の日本人はこの呼びかけから、この二人の間、子どもが小さかった頃のこの家庭など、いろいろなことを想像できるのだ。若い二人が激しく愛し合っていた頃、名前で呼ぼうが、「ダーリン」と呼ぼうが、それはお二人の勝手である。しかしやがて子供が生まれ、小学生になり、妹が生まれて見事に家族がよりそう家庭が出来上がる。それでもなお、名前で呼び、「ダーリン」と呼ぶだろうか。その方が異常だという人の方が正常である。
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2012年07月06日(金曜日)更新
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第298号 ご立派、その見識 JR町田駅
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(つづき)文字通り可愛い我が子はお二人の愛のたまものである。しかしやがて成長して社会人となる。社会の常識で通用する名前の方が子どものためではないのか。もちろん漢字は、音と訓の読み方があり、辞書にのっている以外の読み方をしたからといって罰せられるわけではない。役所でも「悪魔」君の場合は断ったけれど、こんな読み方はないといって受付を断ることが出来ない。親が良識を生かしてほしい。暴走族風、芸人風のキンキラに憧れるのではなく、子どもの長い人生を想いやって欲しい。JR町田駅、改札を入ってすぐ右手にトイレがある。何年か前に改修された。ふとみると、どこでも目にする人型が書いてない。入口の壁の部分が男子は青、女子はオレンジに色が塗られているだけだった。これはこれで一つの見識。私は駅員の判断を高く評価した。勝手な命名をするような人が文句でも言ったのであろうか。女子の方には同色で「女子トイレ」と書いてあった。
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2012年06月29日(金曜日)更新
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第297号 我が子はやがて老人に JR町田駅
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(つづき)男の子は「賢太」これは「けんた」としか読めないだろうが、この親は「たかし」と他人さまに言わせるらしい。そういえば最近、子どもの事故や美談があると、名前の漢字に、老眼鏡でもよめないほどの小さなふりがながついていることに気がついた。お蔭さまで「早」を「さき」、「絢英」を「あゆな」とムリヤリ読ませるバカな親がいることも分った。子どもの頃は可愛いから名前もぴったりだと喜び、且つ自慢でもあった。やがて青春、そして結婚。親は死んでその子が七十歳。男女別姓という手もあるが、多くの女性の姓が変わる。あまり口にしたくないような妙な呼び方になってしまった。しかし特別な事情のない限り、変更することはできないきまりである。若かった親が、漢字の音も訓も無視して(あるいは無知で)カッコイイと見た漢字を使う。しかし呼び名はすてきでも気にいっているひびきの名。親の発想そのものが全く分裂状態で役所へ届ける。
※本稿を6月22日に第296号として掲載しました、正しくは6月29日付でした。お詫びして訂正します(支配人)。
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