トイレマーク見てある記

タウンウオッチングだと言い訳しても
エロ爺だろう!の視線を浴びて

 
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大熊昭三(おおくま しょうぞう)
1928年、埼玉県生まれ。名古屋陸軍幼年学校を経て、1951年東京教育大学文学部卒業。愛知県半田高校、北海道帯広三條高校、川崎橘高校、川崎高津高校教諭を歴任して現職を終わる。
その後、専門学校の講師を勤める。その間、多くの山に登り、アフリカに遠征してキリマンジャロやルエンゾリに登頂。
教育評論家としてTV出演、週刊誌などでも活躍する。
主な著書
「こんな教師を告発する」「組合教師亡国論」(エール出版)「学校は汚染されている」(潮文社)「恐るべき親たち」(コンパニオン出版)、共著「日教組を斬る」「日本をダメにした学者・文化人」等、著書多数。

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2012年05月18日(金曜日)更新

第291号 愛知のことば 横浜西口モアーズ

 夏用のシャツは「夏襦袢」、紐できつくしばる靴は「編上靴」(へんじょうか)と音でよむ。中学校では「ゲートル」といっていたものがここでは「巻脚絆」となる。でも夕飯後とか日曜日などは軍隊用語も忘れてくつろぐ。「先生」を「シェンシェイ」。あるいは「ジェンジェン」(全然)と喋っていた北九州出身のA君、高知出身のY君は時折、方言がとび出して愉快に喋っていた。妙にはねあがるような発言を意識しておさえるようにしていた福井出身のF君。これらが方言というものか。日本は広いなと妙に悟ったようなことを考えたものである。閉ざされた世界だから一般の方々との接触はほとんど無い。やがて敗戦。そして東京高師を卒業して愛知県へ赴任。ここで始めて私は社会人として若ものや多くの人々とつき合った。半田高は知多半島にある愛知県だ。出席をとっていたら、本人でない声が「○○さん、見えてます」という。「いる」ということだと理解した。
 

2012年05月11日(金曜日)更新

第290号 英語は敵性語 横浜西口モアーズ

 自分の生活範囲だけが彼の世界で、漠然と外の世界があると気づいていても、まず知らないも同じこと。「早く行くべ」は「べし」が元で、「行くべく候」?「行くべい」と変っていった由緒あることばだと、大人になってから知った。中学は似たような地域から集まってくるから、全く違和感はないが、陸軍幼年学校に入学したら、まず軍隊用語にとまどった。田舎育ちの私は「僕」なんて使わなかったから苦労なしだが、都会育ちの友人たちは苦労したことだろう。『僕』『君』「ねえ」「はあ」「ちゃった」「です」は厳禁である。一般社会では英語は敵性語ということで使えず、野球では「ストライク」が「よし」「ボール」が「ダメ」「センター前にヒット」は「中堅前安打」となる。英語の先生は肩身が狭かったらしい。さて軍隊では。フランス語からの転だが「ズボン」が「軍袴」。下半身にはくからやはり「はかま」かなあ。従ってステテコにあたるものは「袴下」となる。
 

2012年05月04日(金曜日)更新

第289号 梅切らぬバカ JR有楽町駅

 人間の手が加えられない文字通りの自然は、樹木が、動物たちが生命をかけて生き残ろうとする、第一の自然。そして私たちの身のまわりには、人の手の加わった上で生きのびる第二の自然がある。私たちが『自然』を口にするときはすべてこの第二の自然のことだ。道物や植物たちが生きやすいように、少しの手を貸してやる。それだけでよいのであって、自分たち人間の都合で、くつわ虫や蛇や蛙たちを死滅させてはならないし、樹木の伐採など、もっての他であろう。『さくら切るバカ』はそこからうまれた言い伝えであろう。子どもの頃、東京に嫁いだ姉に連れられて観た日劇はもうない。朝日の社屋もない。人間の世界は激動して当り前。しかし有楽町の駅舎や、駅前の雑多な小店などはあまり変っていない。線路下の店もそうだ。樹齢百年は若い方だろう。尾根の淡墨桜を見たら、隣の団地の「さくら切るバカ」の人たちはどう思うだろうか。自然への畏敬を失いたくない。
 

2012年04月27日(金曜日)更新

第288号 さくら切るバカ JR有楽町駅

『上野・谷中の花のこずえ、またいつかはと』心細くもきりっとした覚悟でみちのくへ旅立った芭蕉。私は今年も満開のさくらを見ることができた。私の家から五十メートルも歩けば、1キロ以上も続く桜並木がある。道路を間にして隣は中層の住宅団地。そこにも短い桜並木があるが、去年、職人が入って大きな枝をばっさりと切っていた。桜の花びらが散り、秋には枯葉が散る、掃除が大変、とかで切ったらしいが、私の家の近くにも、そういう文句を並べたてる人がいた。満開のさくらは、木が花に包まれていて見事だが、切り残した枝にわびしく咲くさくらをみて、隣の団地の人は何を想うだろうか。そしえ、私の家の庭には二本の梅の古木がある。さくらに先がけて花ひらく。卒業のとき、教え子たちが記念にくれたものだ。私はいつも『さくら切るバカ、梅切らぬバカ』という言いつたえを思い出す。大胆に枝を切りおとした隣の団地の人はやはりバカなのだろう。
 

2012年04月20日(金曜日)更新

第287号 このマークは傑作! さがみ大野

 そうです。昔のパチンコは一つずつ球を入れ、狙ってはじく。その行方を眼で追う。九九式小銃型である。当りの口に入ると、球がじゃらじゃら出てくる。教頭先生は熱くなるタチで台を叩いて「出ないゾ」と怒鳴っていた。一球ずつ打つのだから全く当らなくても、損の額はタカが知れている。景品のタバコを貰った覚えもないが、小遣いの範囲で納まるのだから気は楽だ。まことによき時代。やったことはないが、話に聞くと当節のパチンコはレバーを一寸動かすと勝手に球がはじかれるのだという。一万円くらいあっという間に無くなるそうだ。当れば大きい。ミサイルのようなもので、専門家が出てくる領域である。
 小田急さがみ大野駅を出て右手。『モアーズビル』。二階だったかにパチンコ店があり、イイ若い衆が大勢つめかけて目を血走らせていた。入口近くにこんなトイレマークがあった。『M』と『W』を効果的に生かした発想が見事。傑作である、脱帽である。
 
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