トイレマーク見てある記

タウンウオッチングだと言い訳しても
エロ爺だろう!の視線を浴びて

 
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大熊昭三(おおくま しょうぞう)
1928年、埼玉県生まれ。名古屋陸軍幼年学校を経て、1951年東京教育大学文学部卒業。愛知県半田高校、北海道帯広三條高校、川崎橘高校、川崎高津高校教諭を歴任して現職を終わる。
その後、専門学校の講師を勤める。その間、多くの山に登り、アフリカに遠征してキリマンジャロやルエンゾリに登頂。
教育評論家としてTV出演、週刊誌などでも活躍する。
主な著書
「こんな教師を告発する」「組合教師亡国論」(エール出版)「学校は汚染されている」(潮文社)「恐るべき親たち」(コンパニオン出版)、共著「日教組を斬る」「日本をダメにした学者・文化人」等、著書多数。

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2012年03月09日(金曜日)更新

第281号 少年はマジメでした スーパーオリンピック

「ひかりが丘」「さちが丘」・・そして住む家は「マンション」「ハイツ」などなど。字ずらだけを見ればため息の出そうなすてきな住まいのようだが、なに、実の所は「団地」の「アパート」住まいなのだ。定年が間近かになったころから、うるさいほどにマンションのDMが舞い込むようになったが、私も妻もそれらはすぐに棄てた。何しろ、百姓仕事で父を手伝いながら育った少年である。僅かばかりの田んぼで、田植え、草取り、稲刈りもやった。麦踏みから、脱穀から、一通りのことはやらされたから、汗を流す仕事は苦にならなかった。むしろそのことで父も母も喜んでくれることが嬉しかったという、今どきの子どもに言わせれば、可愛いくない少年だったのだろう。北海道から転勤してきて借家に入った。小さな庭もあった。その後、県営住宅に入居できたが、「テラスハウス」と称し、二階をふくめて一戸。狭いながら庭もついていて、芝生をはったり、バラを植えたりした。
 

2012年03月02日(金曜日)更新

第280号 子どももいつか老人になる。 ららポート

 昔の、学校の名簿は、男が先、女があとときまっていた。「子」がついているか、なくてもやさしそうな名は女子ときまっていた。Kという俳優が、我が子に『心美』とつけ「ここみ」というのだそうだ。「心」は「こころ」とよむのであって「ここ」とはよまない。新聞の投書欄をみていたら『奈乃花』というのがあった「なのか」か「なのはな」か。『もえ』という名も流行りらしいが、将来、外交官夫人になって、タイに赴任したら困るのではないか。そうです、子どもは私物ではないのです。赤ちゃんの頃、幼い頃は可愛さから何とよんでも頬ずりしたくなる。しかしいつまでも幼児ではない。高校生になり、社会人になり、五十歳になり、定年後を迎え、その間、何万の人と付き合うことだろう。その折々に、不都合な名前でないように心がけるのが、賢い親の義務ではないのか。折りをみてもう一度言いたい。マークは『ららポート横浜』のものとだけ言っておきます。
 

2012年02月24日(金曜日)更新

第279号 漢字を正しく使え ららポート

 大相撲の世界に「日馬富士」という大関がいる。漢字の字ヅラと音のよさにひかれてこの名をつけたのだろうが「日」に「はる」というよみ方はない。角界も一つの芸の世界。文字通り『醜名』(シコナ)を持って土俵にあがる、芸名と考えればよい。プロ球界もそうだろう、「イチロー」もいれば「サブロー」もいた。『暢子』を『ヨーコ』とよませるらしいが私は『ノンコ』とよんでいる。『暢気』(ノンキ)である。作家、森鴎外は我が子に『於菟』(オト)とか『茉莉』(マリ)とかいう名をつけた。ちゃんと日本の漢字としての「音」があるから、これは正しい命名であろう。私の教え子に『之歩』という子がいた、シホ」である。「之」はカタカナの「シ」の本の字であるからこれもまちがいではない。『幾巳』という子がいた、「イクコ」である。「己」(コ・キ)であるからこれも正しい。しかし弱った、名簿を見ただけでは男か女か、全く見当がつかないのだ。
 

2012年02月17日(金曜日)更新

第278号 子どもはみな芸名 ららポート

 キザに聞こえるようだったら、先にあやまっておきます。私は書店歩きが好きだ。喜んで買ってきたら、本棚に収まっていたということがよくある。『牧野恭仁雄、子供の名前が危ない』というタイトルが眼に入ったのですぐに購入。子どもの名前のはやりについて、ある会社が毎年発表しているし、Y新聞は、我が子自慢の写真を毎週、募集、発表している。『0一』『0雄』や『0子』などという名前が最近はほとんど消えかかっていて、その代り、変った、奇妙キテレツな、とてもそうは読めない、ふざけるなよ、というような名前ばかりである。芸人でさえもそんなふざけた名はつけない。名をつけた親は真剣だったかもしれないが、日本語を無視したそれらの名前はまさに悪ノリである。同書にある「空海」ちゃん。『そらみ』だそうだが、弘法大師もびっくりしておられることだろう。椿が好きな親が、『椿子』とつけたいという。音で読んでと言ったら思いとどまった。
 

2012年02月10日(金曜日)更新

第277号 五十年は五昔 さがみ大野OX

 少し話がくどくなったが、ま、我慢して下さい。若くして世帯を持った私は、当然のごとく給料の前借りばかり、そしてボーナスでホッと一息つく状態。まず、家から近い停留所から私鉄の駅までバスに乗る。そして一駅だけ電車に乗って、大和という所で小田急線にのりかえ。エスカレーターなど無かった時代に、のりかえの階段を上り下りする。小さい身で大変だったのではなかったろうか。混雑する電車を四駅乗って「さがみおおの」で下車。全くの田舎の駅であった。ホームから地平におり、線路を横切って改札へ向う。事故にも、事件にもあわずに、よく過ごせたものぞと、あの頃の周囲の人たちにお礼を言いたい。父母として何回か訪れた。久しぶりにその駅を訪ねてみた。橋上駅舎である。駅ビル方式だから駅表も駅裏もない。あれから五十年。巨大ビルが列なり昔の俤はどこにもない。別の街のようだ。目あてのマークだけを拾って、私はすごすごとひき返してきた。
 
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