トイレマーク見てある記

タウンウオッチングだと言い訳しても
エロ爺だろう!の視線を浴びて

 
2024年03月
01 02
03 04 05 06 07 08 09
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
 
 
大熊昭三(おおくま しょうぞう)
1928年、埼玉県生まれ。名古屋陸軍幼年学校を経て、1951年東京教育大学文学部卒業。愛知県半田高校、北海道帯広三條高校、川崎橘高校、川崎高津高校教諭を歴任して現職を終わる。
その後、専門学校の講師を勤める。その間、多くの山に登り、アフリカに遠征してキリマンジャロやルエンゾリに登頂。
教育評論家としてTV出演、週刊誌などでも活躍する。
主な著書
「こんな教師を告発する」「組合教師亡国論」(エール出版)「学校は汚染されている」(潮文社)「恐るべき親たち」(コンパニオン出版)、共著「日教組を斬る」「日本をダメにした学者・文化人」等、著書多数。

ご意見・ご要望をお寄せください

 
ユーモアクラブトップに戻る
<<前へ 123456789101112131415161718192021222324252627282930313233343536373839404142434445464748495051525354555657585960616263646566676869707172737475767778798081828384858687888990919293949596979899100101102 次へ>>

2011年06月03日(金曜日)更新

第241号 地名に教わる JR鴨居駅

 本を書いた、多くの方が読んで下さった。お蔭で日本のあちこちに仲間がうまれ、友人が出来た。和歌山の『上』さんという方からも度々手紙を頂いた。又、苗字の話である。この方は『うえ』さんだが、『じょう』さん、『あげ』さんという方もあるという。反対の『下』は『しも』さんが普通だろうが、『した』さんや『おろし』さんもあるらしい。漢字は易しくてもよみ方はいろいろと複雑です。『裏』(うら)さんもいれば『表』(おもて)さんもいるし、『角』(すみ)さんですか。いえ『かど』です、『かく』ですとなる。(一)から順に数えると、『ひとつ・・むっつ・・ななつ・・』となるが、なぜか『十』は『とお』であって『とおっ』とは言わない。先述の丹羽さんの本をみたら、この字だけ「つ」がついてないので『つなし』という苗字なのだそうな。苗字を少し調べてみても、本当にクイズより難しく、勉強になります。そして地名もいろいろと教えてくれます。
 

2011年05月27日(金曜日)更新

第240号 西口?北口?小田原西口

 若い頃、庭球をやったこともあるので、この道で「熊埜御堂」とい名人がいることは知っていた。作家の「武者小路」氏、そして昔の武将の「長曾我部」氏、新聞などでよく目にするから、並みの人ならどなたもご存知だろう。先に述べた「四十八願」(よいなら)さんはさておいて、「七五三掛」(しめかけ)君は私の教え子にいたので何とか読めた。四字の苗字はクイズ以上に難問である。「一尺八寸」(かまつか)さん。「六月一日」(うりわり)さん。「四月一日」(わたぬき)さん。鎌の束が一尺八寸あるから「かまつか」というのだそうだ。「十二月」は(しはす)、これに田がついて「十二月田」(しはすだ)さん。何とも日本の苗字は難しい。「今」は(こん)さんもいれば(いま)さんもいる。勿論このマークのある「小田原」さんも「西口」さんも私の知り合いにいる。地図上ではここは北口なんですがねえ。
 

2011年05月20日(金曜日)更新

第239号 苗字の怪 小田原西口

 地図の好きな私は子どもの頃に目にして覚えていたが、原発事故による避難圏内ということで、「大熊町」をしばしば目にする。直接、関係はなさそうだが、江戸時代までさかのぼれば分からない。倉敷にも「大熊旅館」があることだし、どこかでつながっているのかもしれない。石川県の私立金沢高に「成出」という好投手がいた、広島カープで活躍する「東出」選手。「北出」さんはNHKのアナウンサー。故人になったが私の友人に「中出」という者がいた。「南出」さん、「西出」さん、「奥出」さんもいるようだ。何れも石川、富山など北陸である。若い頃、少しやってみようかと、電話帳や新聞記事などで苗字集めを始めてみたが、あまりに数が多いので十年ほどでやめてしまった。姓氏研究の第一人者、丹羽基ニ先生は立派である。その著書でずい分勉強させて頂いた。ふと、この震災の復興会議議長名に、五百旗頭氏の名を見た、久しぶりに四字の苗字をみた想い。
 

2011年05月13日(金曜日)更新

第238号 アンテナショップ 交通会館内

 被災地へ見舞いに行く芸人やスポーツ選手たち。よいことだ。しかし十パーセントの売名の気持がないとは言えまい。付人も誰も連れず、どこにも知らせず、一人で行きなさい。テレビも新聞も決して追いかけないこと。
 そして私たちに出来ることは義援金を寄付することか。再開したディズニーへ行ったつもりになって寄付しよう。今夜は茨城のほうれん草でおひたしを頂くか。宮城のささかまで、岩手の地酒を一献とゆくか。そういえば、都内の一等地には多くのアンテナショップがある。勿論、福島や岩手、宮城の店もあり、県産物をたくさん取りそろえている。そこに行って特産品を買おう。産業振興やひいては雇用の手助けにもなるはずだ。これも支援の一つである。地震に関係ないが、北海道のアンテナショップをのぞいたことがあった。有楽町駅前、交通会館内にある。和歌山、富山の店もあった。ついつい買いすぎてしまったほど。勿論、トイレマークの収穫も。
 

2011年05月06日(金曜日)更新

第237号 人間の醜さ アンテナショップ

 未曾有の大震災。一月余り経っても余震が収まらない。福島の浜通りは『地震・津波・原発』の三重苦である。住みなれた土地をはなれて避難生活を続ける人たちの苦労。とても「頑張って」などと声をかけられるものではない。漁はできない、野菜は売れない。田植えもできない。何とことばをかけようか。ただ黙するだけである。そうなのだ、漁師にとって魚をとること。農民にとっては田んぼに入って田植えをすること、それは生活のためではあるけれど、それ以上にあの人たちにとっての生き甲斐でもあるのではないか。丹精こめて育てあげた見事なホーレン草。これがいくらになるというセコいゼニ勘定ではなく、育てあげた甲斐があったという達成感、満足感の笑顔ではないのか。それが売れない、だけではない。福島の車は「帰れ、来るな」というイタズラ書き。なぜそんなことができるのか。戦争以上の悲惨さ、酷薄さがそこには横溢しているように思える。
 
ユーモアクラブトップに戻る
 


ページTOPへ