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2011年06月03日(金曜日)更新
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第241号 地名に教わる JR鴨居駅
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本を書いた、多くの方が読んで下さった。お蔭で日本のあちこちに仲間がうまれ、友人が出来た。和歌山の『上』さんという方からも度々手紙を頂いた。又、苗字の話である。この方は『うえ』さんだが、『じょう』さん、『あげ』さんという方もあるという。反対の『下』は『しも』さんが普通だろうが、『した』さんや『おろし』さんもあるらしい。漢字は易しくてもよみ方はいろいろと複雑です。『裏』(うら)さんもいれば『表』(おもて)さんもいるし、『角』(すみ)さんですか。いえ『かど』です、『かく』ですとなる。(一)から順に数えると、『ひとつ・・むっつ・・ななつ・・』となるが、なぜか『十』は『とお』であって『とおっ』とは言わない。先述の丹羽さんの本をみたら、この字だけ「つ」がついてないので『つなし』という苗字なのだそうな。苗字を少し調べてみても、本当にクイズより難しく、勉強になります。そして地名もいろいろと教えてくれます。
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2011年05月27日(金曜日)更新
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第240号 西口?北口?小田原西口
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若い頃、庭球をやったこともあるので、この道で「熊埜御堂」とい名人がいることは知っていた。作家の「武者小路」氏、そして昔の武将の「長曾我部」氏、新聞などでよく目にするから、並みの人ならどなたもご存知だろう。先に述べた「四十八願」(よいなら)さんはさておいて、「七五三掛」(しめかけ)君は私の教え子にいたので何とか読めた。四字の苗字はクイズ以上に難問である。「一尺八寸」(かまつか)さん。「六月一日」(うりわり)さん。「四月一日」(わたぬき)さん。鎌の束が一尺八寸あるから「かまつか」というのだそうだ。「十二月」は(しはす)、これに田がついて「十二月田」(しはすだ)さん。何とも日本の苗字は難しい。「今」は(こん)さんもいれば(いま)さんもいる。勿論このマークのある「小田原」さんも「西口」さんも私の知り合いにいる。地図上ではここは北口なんですがねえ。
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2011年05月20日(金曜日)更新
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第239号 苗字の怪 小田原西口
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地図の好きな私は子どもの頃に目にして覚えていたが、原発事故による避難圏内ということで、「大熊町」をしばしば目にする。直接、関係はなさそうだが、江戸時代までさかのぼれば分からない。倉敷にも「大熊旅館」があることだし、どこかでつながっているのかもしれない。石川県の私立金沢高に「成出」という好投手がいた、広島カープで活躍する「東出」選手。「北出」さんはNHKのアナウンサー。故人になったが私の友人に「中出」という者がいた。「南出」さん、「西出」さん、「奥出」さんもいるようだ。何れも石川、富山など北陸である。若い頃、少しやってみようかと、電話帳や新聞記事などで苗字集めを始めてみたが、あまりに数が多いので十年ほどでやめてしまった。姓氏研究の第一人者、丹羽基ニ先生は立派である。その著書でずい分勉強させて頂いた。ふと、この震災の復興会議議長名に、五百旗頭氏の名を見た、久しぶりに四字の苗字をみた想い。
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2011年05月13日(金曜日)更新
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第238号 アンテナショップ 交通会館内
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被災地へ見舞いに行く芸人やスポーツ選手たち。よいことだ。しかし十パーセントの売名の気持がないとは言えまい。付人も誰も連れず、どこにも知らせず、一人で行きなさい。テレビも新聞も決して追いかけないこと。
そして私たちに出来ることは義援金を寄付することか。再開したディズニーへ行ったつもりになって寄付しよう。今夜は茨城のほうれん草でおひたしを頂くか。宮城のささかまで、岩手の地酒を一献とゆくか。そういえば、都内の一等地には多くのアンテナショップがある。勿論、福島や岩手、宮城の店もあり、県産物をたくさん取りそろえている。そこに行って特産品を買おう。産業振興やひいては雇用の手助けにもなるはずだ。これも支援の一つである。地震に関係ないが、北海道のアンテナショップをのぞいたことがあった。有楽町駅前、交通会館内にある。和歌山、富山の店もあった。ついつい買いすぎてしまったほど。勿論、トイレマークの収穫も。
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2011年05月06日(金曜日)更新
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第237号 人間の醜さ アンテナショップ
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未曾有の大震災。一月余り経っても余震が収まらない。福島の浜通りは『地震・津波・原発』の三重苦である。住みなれた土地をはなれて避難生活を続ける人たちの苦労。とても「頑張って」などと声をかけられるものではない。漁はできない、野菜は売れない。田植えもできない。何とことばをかけようか。ただ黙するだけである。そうなのだ、漁師にとって魚をとること。農民にとっては田んぼに入って田植えをすること、それは生活のためではあるけれど、それ以上にあの人たちにとっての生き甲斐でもあるのではないか。丹精こめて育てあげた見事なホーレン草。これがいくらになるというセコいゼニ勘定ではなく、育てあげた甲斐があったという達成感、満足感の笑顔ではないのか。それが売れない、だけではない。福島の車は「帰れ、来るな」というイタズラ書き。なぜそんなことができるのか。戦争以上の悲惨さ、酷薄さがそこには横溢しているように思える。
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