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2010年11月05日(金曜日)更新
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第211号 地名のこと 登戸駅
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地名、北海道のはアイヌの方の呼び方に近い漢字を宛てたものが多い。『別』『内』『幌』が多い。一時はやった『ユーカリが丘』などというキザな団地名や、平成の大合併でうまれそうになった『湯陶里市』(ゆとり市。佐賀県。合併協議会が解散になってご破算に)などはあまり考えまい。もともと地名は、地形などからつけられることが多かったという。多摩川が音をたてて流れるから『とどろき』(等々力と書いた)しかし暴れ川が地区を分断する形で流れ、そのまま明治になる。多摩川を境に東京と神奈川に分かれたから、双方に『等々力』や『宇奈根』がある。海岸美で知られる五能線には『車』が三つではなく『馬』が三つの『とどろき』がある。このように発音は同じでも字が違うという地名もかなりあるだろう。有名なのは『せんだい』 、宮城県のは『仙台』だが、鹿児島県のは『河川』(かせん)と『内裏』(だいり)あわせて『川内市』である。
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2010年10月29日(金曜日)更新
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第210号 許せる詐欺 二階建商店街
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東京の御岳山。ケーブルの終点からは楽な道だが、それでもとに角歩かなければ御岳神社にお詣りはできない。私の住む神奈川県の大山、阿夫利神社、この神社の下社は中腹にある。そこまではケーブルで運んでもらう。立派な社殿だが、実は本社はこの先、頂上にある。あと六百メートルあまり、登山道を登らなければお詣りできない。夜の山道を登って、二十一世紀の初日の出を山頂で拝んだが、喜寿をすぎた身には少々きつたった。話を元に戻そう。人々の視線を背に感じながらトイレを探し、すてきなマークを目にすると心の中で快哉を叫ぶが、これはどうだ。ある私鉄の駅前、二階建ての商店街で階段の所で目にしたのが先号の案内標板、同じマークと期待して二階にあがれば、トイレの扉にあるマークは、全く違うこのマーク。前述のテレビ番組は少々詐欺的な匂いがするが、マークが違っても実害がないから、まあ許しておこう。
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2010年10月22日(金曜日)更新
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第209号 まずTVの話から 私鉄駅前商店街
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子どもはメールやゲームに夢中。年寄りはテレビをつけっぱなし。トイレ以外はその前をはなれようとしない。という最近のごく当り前の光景。どうでもいいような芸人のうわさ話とか、バカな芸人の悪ふざけ。とても見る気にはなれない。私は夜、三時間くらいニュースを中心に目を向けるぐらいである。たまたま大嫌いな人物が画面に出たので、いそいでチャンネルをまわしたら、全国の珍しい風景などを取りあげる番組をやっていた。少し見ていた。ロープとリフトをのりつぎ、さらに登山をしなければお詣りできない神社というのをとりあげていた。バカを言いなさんな。日本では古来、山岳信仰が盛んであったから、山そのものが神であり、山上に社を建てて神をまつるということはごく当り前のことであった。正月の門松でいえば、神は先のとがった高い所におりていらっしゃる。そしてその家に幸せを恵んで下さる。そんなこと常識でしょう。このマークを覚えて下さい。
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2010年10月15日(金曜日)更新
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第208号 江ノ電に拍手 江ノ電鎌倉駅
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戦争中のこと、軍の学校で国語の授業、『太平記』を勉強した。日野朝臣俊基が討幕を計ったことが分かり、捕えられて鎌倉へ送られる、再び関東下向のこと。有名な道行文である。縁語やかけ詞を存分に使った、七五調の流麗な文である。教官にすすめられて必死に暗記した。後年、教師となってもよくこの話をした。R子も一生懸命覚えたのであろう。私もそうだが、若い頃学んだことは半世紀経っても忘れないものである。会場の隅で、私はR子と一緒に、この道行文をしばらく口ずさんでいた。嬉しかった、ありがたかった。涙が出てきた。
江ノ電鎌倉駅はそうした悲運の武将たちを祭るかのように、きれいな花で駅舎・トイレを飾る。第152号で見たようなターミナルの藤沢駅も花柄のタイルであった。ここ鎌倉駅はJRの駅の素っ気なさに比べ、何と見事な心ばえであることか。ステンドグラスの明るさ、そして本物の花が輝いている。全線開通百周年の江ノ電に拍手。
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2010年10月08日(金曜日)更新
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第207号 太平記の話 江ノ電鎌倉駅
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北鎌倉からJR線路ぞいに鎌倉へ。途中、右手の岡の方へのぼる。源氏山に連なる一帯が『葛原岡公園』である。その昔、刑場であったところで、日野俊基を祭る葛原岡神社がある。寺を巡り、歴史を訪ね、学者・文人たちの墓に詣でて足跡をしのぶ。鎌倉めぐりのよい所、たのしい点である。話はとぶが、当ユーモアクラブの立案者、児玉君。彼らが高校三年に進級のとき、私は内地へ転勤してしまった。彼らの卒業を見届けなかったことを今でも後悔している。帯広で、東京で、彼らは毎年クラス会を開いている。もう二年も前のことになろうか。私も顔をださせてもらった。その席には帯広から空路はるばるR子も出席していた。美女は年をとっても美女である。私が顧問である文藝部員でもあった。近況を話しているいと突然「先生、これを覚えていらっしゃいますか」と言い、太平記の道行文を暗誦しはじめた。『落花の雪にふみ迷う』。今回はR子のお話である。
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