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2010年10月01日(金曜日)更新
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第206号 ムダなことをした JR大船駅
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戦前のお便所。私は自分の家、親戚、そして学校のものしか知らない。戦後、バラック建ては別として集合住宅、戸建を問わず、トイレはほとんどの場合、一ヶ所だけになったようだ。男性用、女性用と二ヶ所あるのはぜい沢というものだろう。勿論そうでなくても個人の家でマークなんてつけるはずもない。
JR大船駅。駅ビル式に改築されて、マークももしかしたらと少し期待していた。駅ビル側。通路にいた警備員に「マークを集めているので」と断わって、通路、天井部分にさがる案内標示板にカメラを向けたところ、かの警備員、さっと手をあげンズをふさいでしまった。マークに肖像権でもあるのか。私の孫より若い彼は何の権限で私の行為を妨害するのか。多くの客がいるので、私はケンカしたいのをじっと我慢した。そして南口改札近くのマークを収集した。同じ駅だからだろう、先に採集した北口トイレと、全く同じ色づかい。何だかムダなことをしたなあ。
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2010年09月24日(金曜日)更新
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第205号 盗撮男は犯罪者か JR大船駅南口
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エスカレーターに乗っている女子高生のスカート内を盗撮したら犯罪である。毎年のこと、八月も終わり頃になると、民法テレビ局は海辺の混雑を取材する。そして盗撮男を必ず追いかける。しかしどこをどうやって撮ったかテレビは説明しないから、本当に犯罪なのかどうか。山は重装備だから盗撮男はいない。海辺は違う、若い女性はまるで裸同然で少しの布をはりつけ、胸やお尻を誇示しているではないか。若い男に見て貰いたいからだ。それを撮るのが犯罪というなら、電車の女性専用車のように『女性専用ビーチ』を設定するか、若い女性も昔のようなロンピース型の水着着用と決めることである。そうすれば盗撮はなくなるだろうが、若い女性も来なくなるだろう。発想を変えれば、盗撮男は被害者であるということ。
カメラを持ってデパートなどのトイレに近づけば、あのエロ爺さんと蔑まれるだろう。警備員にひと言断わるときもあるが、それにしても変な趣味です。
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2010年09月17日(金曜日)更新
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第204号 敬意! 平塚駅ラスカ
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北海道。オホーツクに近い北見でも今年は猛暑を記録したという。地球の温暖化に異常気象。さて来年はどうなることやら。学者さんたちもいろいろデーターを揃えているようだが、あまり遠くない未来に、北海道が、みかんやお茶の産地になるかもしれない。何しろムリだと思われていたこの北の大地で、執念で米を作り出し、今や『きらら』という銘柄米を産出するまでになったのだから。津軽海峡を堺にして、動物や植生が違う。それがブラキストラインであると理科で教わったことを思い出した。北海道で始めて迎えた夏、家々ではきれいに七夕飾りをしていた。しかしそれは笹竹ではない。北海道に竹はないから、かわやなぎ(ねこやなぎともいう)を切ってきて飾りつけをしていた。
前に述べた平塚の七夕。私はマークに関心がある。駅ビル・ラスカの2Fと3Fの間の踊り場、とにかくどこでも目にするマークではないもの。そういう経営者の熱意とアイデアに敬意を表する。
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2010年09月10日(金曜日)更新
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第203号 これで三度目 平塚駅ビルラスカ
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連日の猛暑。京都五山の送り火が済んでも、この猛暑はもうしよっと(くだらない)続きそうだが、ひそかに待たれるのは越中の“風の盆”であろうか。ねぶたは青森だけではない。弘前や五所川原のそれも見事である。そして山形の“花笠音頭”。今年は某テレビ局が、盛岡の『さんさ祭り』を取材して放送していた。哀調をおびた民謡“さんさしぐれ”は胸にせまるものがあるが、街頭にくりひろげられた美女たちの踊りが、華やかであり、見事であった。テレビが取りあげてくれなくてもよい。何百年と伝えられてきたお祭りを守っていこうという地域が、日本のあちこちにあるに違いない。観光客をあてこむお参りより、そういう祭りの方こそ大事なのではないか。第145号で神奈川県平塚市の七夕に少々ふれたが、今年は某テレビ局が千葉県大多喜市だったかの七夕祭りを取材していた。静の華やぎでなかなかよいものである。駅ビルラスカのトイレマークは第125号と147号でふれている。
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2010年09月03日(金曜日)更新
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第202号 店ごと違う丸井 ビナウオーク
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ヨーロッパやアフリカなどの諸国で、ちょっとした町へ行くと必ず中華飯店がある。それに比べて、日本料理店は数が少ないし、ない町もある。それほどに支那人や韓国人は一族、家族の絆を大切にすると言われる。例外はあるだろうが、一般的に日本人は昔から親族に関しては淡白だったのではないか。だから大学教授たちのコメントは見当外れということになる。昔だって老人の行方不明はあったろうが、当世は百歳以上の高齢が珍しくなくなった。だから“いる”のが当たり前という感覚が付近住民にも行政にもあったのではないか。親が“どこへ行ったか分からない”とはどういうことか。一週間も物を食べなければ死んでしまうというのは分かりきったことではないか。それが分かっていないからこの老人娘たちもバカだというのである。マルイさんのレストランで見た老人たちは幸せそうだった。マルイさんはどこの店も苦心しているようで、マークも小粋である。
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