トイレマーク見てある記

タウンウオッチングだと言い訳しても
エロ爺だろう!の視線を浴びて

 
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大熊昭三(おおくま しょうぞう)
1928年、埼玉県生まれ。名古屋陸軍幼年学校を経て、1951年東京教育大学文学部卒業。愛知県半田高校、北海道帯広三條高校、川崎橘高校、川崎高津高校教諭を歴任して現職を終わる。
その後、専門学校の講師を勤める。その間、多くの山に登り、アフリカに遠征してキリマンジャロやルエンゾリに登頂。
教育評論家としてTV出演、週刊誌などでも活躍する。
主な著書
「こんな教師を告発する」「組合教師亡国論」(エール出版)「学校は汚染されている」(潮文社)「恐るべき親たち」(コンパニオン出版)、共著「日教組を斬る」「日本をダメにした学者・文化人」等、著書多数。

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2009年12月25日(金曜日)更新

第166号 面白くも何ともない 横浜駅シアル

 いなかの小さな駅。少年は汽車に乗れる嬉しさと不安を胸に木造の駅舎に入る。切符を売る窓口。その上に主な駅までの運賃を書いた黒板がある。左側大きなガラス窓は鉄道で送る小荷物の受付。コンクリートの床。木のベンチ。隅の方にはキャラメルや新聞などを並べた売店があって、おばさんが元気な声でおつりを渡している。ローカル線に乗らなければ、そういう光景は見られない時世である。
 会津鉄道の湯野上温泉駅は、萱ぶき屋根で、コーナーにいろりがあった。心にくい駅である。昭和二十五年、民衆駅と呼ばれる駅ビルスタイル第一号として誕生したのは豊橋駅だそうだ。それ以来、少し大きな駅はすべて駅ビルである。レストランやファッションの店など、従ってどこも似たような店構えであり、ショッピング街である。横浜駅西口の駅ビルはシアルという。名前はどうでもいいが似たような店が各階に並ぶ。私は見て歩く。店もトイレマークも面白くも何ともない。
 

2009年12月18日(金曜日)更新

第165号 名にあやかってくれ クイーンズいせたん

 繁華街ほど店の入れ替わりが激しいのは理の当然か。私の住む横浜でいえば、桜木町駅あたり、港の近くの交代は劇的ですらあり、絶えまなく変っている。横浜駅の東西もしかり。現職を終って講師だったころ、比較的時間にゆとりがあったので、西口にあるジョイナスという地下街で時折、食事をした。ご飯はまずいが、安い定食食堂があった。小さな生わさびを出してくれるそば屋もあった。ゆっくりコーヒーを、という静かな喫茶店もあった。それらがそっくり消えて、全スペースを一部、パンやワインなどの専門店もまじえスーパー形式の店誕生。その名も『クイーンズいせたん』横浜店である。年寄りがうろうろするような店でもないので、中を通ってトイレに直行。奥の方にあった。ごくふつうのつまらぬマークである。店の名が立派なのだから、それにあやかって『キング』と『クイーン』にしてみようと考えなかったのか。それ程客に気を使うことはないと考えたか。
 

2009年12月11日(金曜日)更新

第164号 さりげないマーク クローラ・ミューラ美術館

 ドイツ国境に近い、オランダのアーンエムは、映画『遠すぎた橋』の舞台、第二次大戦の激戦地であった。アムステルダムから列車で約一時間。静かな町である。ライン川にかかる、指揮官ジョン・フロスト中佐の名をつけた橋が六十年余りの昔をしのばせる。多くの兵士たちに祈りを捧げて、私は駅前からバスに乗った。林の奥に見えた『御苑』という看板は日本企業のクラブだろうか。ポール以外は何もない荒野の中のバス停。林の奥に壮麗なクローラ・ミューラ美術館がある。帰りのバスを待つ間、近くに無造作においてある貸自転車に乗って、荒野を走りまわってみた。イギリス嵐ヶ丘で見た、丈の低いヒースの木が生えている。ヨーロッパの荒地で生きる木なのだろうか。この美術館はゴッホのコレクションで有名だ。私も『糸杉』などをじっくりと見る。愛想のよい笑顔の受付レデイ。その背中側にトイレがある。男も女も、素っ気ないほどさり気ないマークである。
 

2009年12月04日(金曜日)更新

第163号 景気はどうなる 川崎駅地下街

 愛知から北海道へ。そして川崎へと転勤をくり返してきた。荷物は業者まかせ。人間は飛行機でという時代だが、戦後まだ十年も経っていないあの頃は大変だった。自分で荷造り、駅まで運んでチッキに頼み、人間は北海道から二昼夜の旅。若いから何とか頑張れたのだろう。その川崎は地図で見た通り、おかしな街で、厚みのない地帯である。東海道線(京浜東北線)では川崎駅の一駅だけだからあっという間に通過。北は多摩川を越えて東京。南は鶴見川をへだてて横浜である。交通は便利だから、東京や横浜へ出かけるのに痛痒を感じない。そのせいだろうか、大型のショッピング街(商店街)が育ちにくい所らしい。JR川崎駅に隣接した地下街アゼリア。私が通った平日の午後、客足があまり繁くはなかった。横浜のダイヤモンド地下街よりはるかに少ない。駅からみて奥の方にトイレ。円でマークをかこみ、タイルの色で区別というくふうはいいが、さて景気の方はどうかな?
 

2009年11月27日(金曜日)更新

第162号 他社を見習え 小田急ストア

 広い世の中には、おかしな人、奇特な人がいるものだ。『アホ』『バカ』の境界線はどのたりかということを、マジメに調べた人もいた。最近は鉄道にのめりこんだ女性『鉄子』も目につく(男性は鉄ちゃんという)。
 ダシの利いた透明に近い関西風のツユ。一方の関東風は底の見えないほど濃い塩味のきいたツユ。さて、駅の立ち食いそば、その境界はどのあたりかと、何日も何年もかけて、電車をのりつぎ、食べつぎして調べた人もいる。トイレマークを追いかけている私も、少々変った部類に入るかもしれない。湘南藤沢。講義を終って夜八時すぎ、遅い夕飯でホームの立ち喰いそば屋さんに入ったことがある。関東風の濃い味のツユでうまかった。JRから江ノ電に乗り換える通路の左側に小田急ストアがある。買物というより暇つぶしには丁度よい位置にある。入ってすぐトイレが目につく。しかし何とつまらないマークだろう。第152号の江ノ電のアイディアを見習うべし。
 
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