トイレマーク見てある記

タウンウオッチングだと言い訳しても
エロ爺だろう!の視線を浴びて

 
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大熊昭三(おおくま しょうぞう)
1928年、埼玉県生まれ。名古屋陸軍幼年学校を経て、1951年東京教育大学文学部卒業。愛知県半田高校、北海道帯広三條高校、川崎橘高校、川崎高津高校教諭を歴任して現職を終わる。
その後、専門学校の講師を勤める。その間、多くの山に登り、アフリカに遠征してキリマンジャロやルエンゾリに登頂。
教育評論家としてTV出演、週刊誌などでも活躍する。
主な著書
「こんな教師を告発する」「組合教師亡国論」(エール出版)「学校は汚染されている」(潮文社)「恐るべき親たち」(コンパニオン出版)、共著「日教組を斬る」「日本をダメにした学者・文化人」等、著書多数。

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2016年01月15日(金曜日)更新

第466号 イナゴを食べる 二子玉川高島屋

 この世に産まれて出てきて、最初にお乳を(餌を)くれた人を、親と思いこむ。小鳥たちや、犬や猫など、身近なペットなどを見ていると、なるほどなあと、単純に思いこむ。人間も動物だから、この例外ではありえない。ただ、日時が、ペットたちより余計にかかるだけのことである。お乳から離れて、いわゆるご飯などの食事をして、ぐんぐんと成長してゆく。母さんが作ってくれたみそ汁や、つけもの、あるいはカレーライス。時には土地の名物料理など。魚といえば、塩が吹き出している塩鮭くらいしか食べたことがなかった。母は、近くの田んぼで取れるどじょうが好きだったがが、なぜか私たちは食べなかった。栃木の南部から、埼玉北部にかけて、土地の人が好んで食べた「すみつかれ」。家を出て妻と所帯を持って以来、一度として食べたことがない。反対に、一度、デパートで買ってきた蝗(イナゴ)の佃煮。私がおいしそうに食べているのを、妻は不思議そうに見ていた。
 

2016年01月08日(金曜日)更新

第465号 チョークからマーカーへ 区内のストア

 そういう噂の中で40年近くを生きて来た私が、ここまで長生きしたのだから、あれは単なる噂に過ぎなかったのだろう。その年の9月、専門学校の講師の職についた。若くてイキのよい男女学生たちと話をするのが、何より楽しかった。そして私はここで始めて、「チョーク」ではなく、「マーカー」を握って講義をすることになったのだ。赤や黄色、緑など何色もあるから、色分けして説明することも可能だし、黒板拭きで消しても、粉がとんで散らないので、服の袖口も汚れないし、たぶん体にも害はないだろう。学生たちも安心して前の方の席につくことができる。やや寿命が短いようで、常に3本くらいは持って教室へ行くことにしていた。
 さて、このトイレマークは、私が住む旭区のあるスーパーのトイレである。女性用は地が赤でマークが白。それなら男性用はマークも地を青にすべきではないのか。自分勝手にマークを作成したようで、あまり気に入らない。
 

2015年12月25日(金曜日)更新

第464号 改良 黒板とチョーク 区内のストア

 まず、黒板が深いグリーンの色になった。それでも呼び名は「黒板」である。今までは黒板は絶対水拭きはしてはいけないと言われていたが、今度は掃除のとき、黒板たたきで綺麗に消すのではなく、水を含んだ雑巾で軽く拭くことが可能になった。きれいな黒板で次の授業ができる。よく見ると、大きな黒板の真ん中あたりにかけ、ゆるく凹んだようにカーブをなしている。両端座席の生徒も、光の加減で見えない、あるはよく見えないということが無くなったのだ。そしてチョークも少し硬くなった。原材料が全く違ったものになったのか、それとも混ぜ合わせる材料が、研究の結果、全く違ったものになったのか。それは分からないし、教師はそれを知ろうともせず、「ああ良かったナ」と一安心するだけである。私はそんな時代で教師生活を終えた。チョークの粉を吸うから肺炎が多いと噂が流れた先生たち。それは本当だったのか、噂だけだったのか。今となっては不明だ。
 

2015年12月18日(金曜日)更新

第463号 白墨からチョークへ 区内のストア

 かまぼこがついている部分の板に、綿くずなどを入れた袋状のものが付いているというもの。係りの子が放課後のおそうじのとき、棒を持って外へ出て行って、その袋状の部分を叩いてくる。風のある日はさっと粉がとんで行く。雨の日などが一番困る。こっそりと、教室の内側から、この黒板消しを、校舎の壁部分にたたきつける。見事に「跡」が残って先生に叱られたものだ。当番の人もそうだが、授業中、前の方の席の人も、ずい分とこの白い粉を吸ったのではないか。勿論、先生が一番吸っていたであろう。まだ、公害だとか何とか文句を言いだす前の話である。いつの頃か。私が教師になってからのことであるから、昭和30年代以降のことであろう。もう誰もが「白墨」といわず、当たり前のように「チョーク」と言うようになった頃。以前に比べ、少し硬くなり、粉の飛び散り方が少なくなった。それは、黒板が、新しいものに替えられる頃でもあった。
 

2015年12月11日(金曜日)更新

第462号 白墨の白い粉 区内のスーパー

 文部省(現文部科学省)から正式の辞令をもらって教師になったのは、昭和26年。戦争の惨禍から、漸く立ち直ろうとするころであった。それから、北海道を経て川崎に赴任した。前にも書いたが、学生の頃、アルバイトで、田舎の中学校(新制)の講師をやったから、そこから「チョーク」とのつき合いが始まった。昭和25年である。私が小学生の頃から、つまりそれよりずっと以前から、誰もが、チョークと言わずに「白墨」(はくぼく)と言っていた。あとで知ったことだが、「白い墨」と書くのだという。運動会の前日、お手伝いでグランドに線をひいた。その石灰からでも作るのかと思った。「黒板消し」というものがある。かまぼこ板のようなものに、かまぼこと同じ格好で布の部分がつけてある。それに一日使った分の白い粉がついており、黒板の下方にも白い粉がたまっている。当番の中でも、これを叩いてきれにするのはイヤな役目だった。
 
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