トイレマーク見てある記

タウンウオッチングだと言い訳しても
エロ爺だろう!の視線を浴びて

 
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大熊昭三(おおくま しょうぞう)
1928年、埼玉県生まれ。名古屋陸軍幼年学校を経て、1951年東京教育大学文学部卒業。愛知県半田高校、北海道帯広三條高校、川崎橘高校、川崎高津高校教諭を歴任して現職を終わる。
その後、専門学校の講師を勤める。その間、多くの山に登り、アフリカに遠征してキリマンジャロやルエンゾリに登頂。
教育評論家としてTV出演、週刊誌などでも活躍する。
主な著書
「こんな教師を告発する」「組合教師亡国論」(エール出版)「学校は汚染されている」(潮文社)「恐るべき親たち」(コンパニオン出版)、共著「日教組を斬る」「日本をダメにした学者・文化人」等、著書多数。

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2008年01月28日(月曜日)更新

番外編 その一

昨年10月このページへ以下の「お問合せ」がありました。ちょっと時間がかかりましたが今週は3回に分けて解説をお届けします。

名前:10000分の1
■お問合せの内容
題名:何故 トイレ?
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大熊先生の10000人の教え子の1人です。
大変博学な先生でしたが、何故トイレにこだわりをお持ちか?
その昔(37年程前)学級文集でトイレ研究?の特集(臭)をやったことがあったっけ!
たとえば、昔は 木の二又に跨ってやったとか、川の流れに任せたとか、葉っぱで拭いたとか、縄を跨いでこすったとか・・・・覚えているのでは?
私は山に入れば野キジを撃っています。
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 西風の吹いた翌日、近くの小公園に散歩に行くと、杉の葉が沢山散っていました。子供の頃、冬の寒い朝に私は近くのお寺へよく杉の葉を拾いに行きました。母が喜んでくれたのを思い出します。火力は弱いが手軽な、よい燃料だった杉の葉。今は 誰も拾いません。
 童謡のような落葉焚きもしません。ただ朽ちるだけです。ごく一部、線香に使われるようですが、灰は畑にまきますから、見事なリサイクルだったのですね。
 人間誰しも入れたら出します。ホラ、あなた。妙な事態を想像しないで下さい。飽きずに毎日くり返しているものをどうにかしなければなりません。江戸近郊の農村から汲み取りに来ました。食べ物の関係からか、武家のものの方が、町人の長屋のものより、高く引き取られたということです。私の子供の頃には、畑のあちこちに肥溜め(コンクリート製の貯留槽)があり、妙な臭いが流れていました。汚物も見事にリサイクルされていましたが、戦後、不衛生だからという占領軍の命令で、化学肥料に切りかわりました。三白景気(せん維・砂糖・肥料)に涌いたのはこのお陰です。今までリサイクルされていた汚物が、完全に『捨てる汚物』になってしまったのですね。牛フンや鶏フンは庭木などに大へん良い肥料です。人間のそれもよい肥料だと思うんですけどネ。
 ともあれ、それは何秒か前までは我が体内にあった、身内のようなものです。しかも血便だったら、真っ黒だったら、液状だったら。すぐ医者に行きなさい。バナナ型なら良好ですよと、体調を教えてくれます。だからすぐ水に流さないで、今、別れたばかりのものをじっくり観察して下さい。あなたにシグナルを発しているのですから。まだ沢山あるかもしれない汲み取り式の所では、出る時の感触で確認して下さい。
 

2008年01月21日(月曜日)更新

第68号 紳士と淑女(横浜駅)

 冬至に南瓜をたべ、柚子湯に入る。親が知らないから、やらないから、日本の風習はと切れてしまう。そして世の中クリスチャンでもないのに、日本中電気のムダ使い。樹木に飾りつけ、巨大な塔を建てる。個人の家でもあちこちで競争するように派手にキラキラ。
 その愚かさをどこのTV局も賑やかにとりあげる。翌年は更に派手になるという悪循環。
 やがて大晦日には寺院の除夜の鐘。明ければ神社へ初詣で。賑やか、というか無節操というべきか。餅つきをして、大掃除をしてという昔がなつかしい。所用があって暮れの24日に出かけたら横浜駅周辺はすさまじかった。ケーキ屋がずらりと並ぶ通路。他人に肩がぶつかることを覚悟しなければ歩けない程。駅ビル、ショッピング街。地下のはずれの方にトイレ。男性はアスコットタイでもしているのか。レデイと呼ぶに相応しい女性の姿。でも、ドレスの似合う妻女だって腰をおろして(しゃがんで)ナニをするのであります。
 

2008年01月15日(火曜日)更新

第67号 くふうはするもの(犬山ホテル)

 男の夢は三つあると聞いた。『連合艦隊司令長官。交響楽団の指揮者。野球の監督』頭脳の回路と指先の動きで、巨艦を、選手をあやつり、名曲を紡ぎ出す。こたえられませんなあ。陸軍を志望した私に長官のゆめは無し。あとの二つも才なし。現職の頃、高校で吹奏楽部の顧問をやったから、夢の何万分の一くらいはかじったことにしよう。私のもうひとつの夢。『城主』である。戦国の世ならば、それはまさに男のゆめだろう。しかし敗れれば切腹が待っている。やはり今の世で良かったのかな。日本で唯一ヶ所。成瀬隼人正正成以来、明治になって取りこわされず、成瀬家個人所有の城。木曽川畔の丘上にあり、別名『白帝城』とも呼ばれる犬山城である。
 私は(古いナア)だから税金が気になる。
 程近くにあるホテル。温泉だそうだ。一階のフロント横にあるトイレ。単なる三角形ではない。楽器のトライアングルをやわらかくしたような、曲線のくふうが好ましい。
 

2008年01月07日(月曜日)更新

第66号 霞ヶ関ビル ありふれた役所風

 ご存命の先生を招いてのクラス会。この時私は招く側にいる。しかし教え子のクラス会では招かれる客の側。教師とは妙なものだなあと思う。クラス会や同期会は高齢になれば消滅するが、同窓会は学校が存在する限り続くだろう。私が学んだ陸軍の学校は敗戦とともに消えた。従って同窓会的な会(私たちは名古屋陸軍幼年学校生徒だった。この会を名幼会と称している。幼稚園ではありません)も、クラス会的な同期会もいずれは消滅する。
 何しろあとがいないし、最若年が喜寿を越えたから。交渉やら会場設営やら、高齢者にはつらい仕事である。日本各地に散っている会員も、新幹線や飛行機があるとはいえ、経済的、体力的に負担は大きい。官庁街にある霞ヶ関ビルが会場だった。地下鉄でやっと辿りついたビルの最上階。会場手前にあるトイレ。ごくありふれたデザイン。白抜き、色で男女を区別。見飽きたマークだが、こういう地域では感覚も役所的になったのだろうか。
 

2007年12月25日(火曜日)更新

第65号 札幌大倉山 ジャンプはどう?

 鉄のかたまりが空を飛ぶのはおかしいと、私の兄は飛行機嫌い。だから海外旅行も出たことがない。高所恐怖症でもある。私は航空大好き。沢山の客をのみこんで、駐機場をはなれ、ゆっくり滑走路へ向かう。一旦停止。すさまじいエンジンの音。スピードをあげて猛然と走り、やがてふわりと機体が浮く。あの数秒間がたまらない。高度九千メートルにあがれば、自宅のソファでくつろぐような感覚である。
 川面をみないで、足もとを見て歩けば、吊り橋だって怖くないよと人にも言っていたが、冬季オリンピックの舞台、札幌大倉山シャンツェに立って驚いた。着地点を、はるかな札幌市内街を目にした選手たちはやはりすごい。スタート地点までリフトであがる。高所恐怖症の人の気持ちが分かった。左手奥にあるトイレ。外国選手も多かったから、このマークでよかった。しかし今は観光客だけ。ジャンプで飛ぶ選手をデザインして、色で区別するというくふうが欲しいのです。
 
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