トイレマーク見てある記

タウンウオッチングだと言い訳しても
エロ爺だろう!の視線を浴びて

 
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大熊昭三(おおくま しょうぞう)
1928年、埼玉県生まれ。名古屋陸軍幼年学校を経て、1951年東京教育大学文学部卒業。愛知県半田高校、北海道帯広三條高校、川崎橘高校、川崎高津高校教諭を歴任して現職を終わる。
その後、専門学校の講師を勤める。その間、多くの山に登り、アフリカに遠征してキリマンジャロやルエンゾリに登頂。
教育評論家としてTV出演、週刊誌などでも活躍する。
主な著書
「こんな教師を告発する」「組合教師亡国論」(エール出版)「学校は汚染されている」(潮文社)「恐るべき親たち」(コンパニオン出版)、共著「日教組を斬る」「日本をダメにした学者・文化人」等、著書多数。

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2007年12月17日(月曜日)更新

第64号 幽鬼?まさか ウエリントン博物館

 今どきの若い人向けの歌。ラジオから流れてくるが、積極的に聞かないし、覚える気もない。ほとんどが散文であり、ことばの羅列であるからだ。昭和一ケタ世代の老人は、軍歌とともに育った。そして軍隊の学校。口惜しいとも悲しいとも思わない。「一本のタバコも二人で分けて喫み、着いた手紙も見せ合う」た。今は亡き『戦友』を偲ぶ歌。それは物語性を持った叙情歌であり詩である。文語だからリズムがある。たくさんの軍歌を覚えた。今はメロディーも忘れてしまったが、それら中に『ワーテルローの戦い』があった。その場所は一度は行ってみたい所であった。ベルギーの首都ブリュッセルの南18km.の所。高さ45mの人口の丘にのぼって、はるかなる大平原を眺める。この地に約20万の兵士が集結。ナポレオンのフランス軍がウエリントン率いるイギリス軍に敗れた。町中に小じんまりした博物館がある。奥のトイレは共用。心なしか戦死した兵士のようにみえる。
 

2007年12月10日(月曜日)更新

第63号 ないものねだり 堂ヶ島洋蘭センター

 地図を見よう。日本列島の真ん中あたりで、袋のようにぶら下がっている所(妙なことを想像しないで、と書くと変な想像をする人がいる)。伊豆半島である。欲張りな所で、伊東、熱川、稲取と温泉が続く東海岸。真ん中には長岡、修善寺、湯ヶ島との行列。まさに『湯出づ』のくにである。頼朝の挙兵、黒船の来航と、歴史も学べる。名作『伊豆の踊り子』を歩くハイキングコース。松本清張氏の『天城越え』もここが舞台。多くの文人が訪れ、そして滞在した。戦後間もなくの頃ヒットした『湯の町エレジー』の『伊豆の山やま・・・』の山なみは千メートルを越える。西海岸。富士を背に高速船で土肥温泉から松崎へ行く途中に『堂ヶ島』がある。ここの洋蘭センターが見事である。シンピジュームと胡蝶蘭しか知らない私は咲き乱れる15万鉢以上の華麗な花々に圧倒された。塔屋中央のトイレ。つたがからまっているのがよい。赤と緑の胡蝶蘭というデザインならもっとよかった。
 

2007年12月03日(月曜日)更新

第62号 緑あざやか

 16両編成の「ひかり号」で東京に着き、いくつかのりかえて八高線の車中の人となったら、言葉は悪いがいささか差別を感ずるだろう。羽田―札幌、羽田―福岡路線は546席の大型ジェットが就航して一日四十便以上。羽田―佐賀は166席のジェットでニ往復のみ。ま、地方空港への路線に大型ジェットを投入して、空気を運んでもしょうがないものネ。
 しかし、旅する者としては、左右に二列ずつくらいで客室はとても狭く感じられ、国内ローカル線だなあと思い知る。アイルランドの首都ダブリンに日本からの直行便はない。ロンドン・ヒースローで乗り継ぐことになる。小型ジェットにのりかえたが、国際線らしい雰囲気は全くない。まさにイギリスの国内線といったらアイルランドに失礼だろうか。約一時間のフライト。対応も素っ気なかった。(当時)カウンター手前の左側のトイレ。絵はあまり上手とは言えない。しかし『みどり』(自然)に誇りを抱く見事なナショナルカラーである。
 

2007年11月26日(月曜日)更新

第61号 奇抜なくふう

 ジョホール・バル(マレーシア)で食べたサテ(日本の焼鳥)が食べたくて、新橋にあるその種の店に行ってみた。しかしサテではなく、焼き鳥であった。そりゃあそうだろう、走りまわっている鶏とブロイラーでは勝負にはなるまい。
 マドリードのカフェテラスで食べたじゃがいものオムレツ。イギリスに行ったらフィッシュアンドチップスか。イスタンブルで食べたシシカバブ。アムステルダムではコロッケの元祖クロケット。コインを入れると、自動販売機から熱アツがとび出してくる。運河のほとりで食べるとこれがウマイのなんの。
 横浜山下公園で毎年秋、開かれるワールドフェスタに、今まで食べた味を見い出させるものはないかと、期待しないが期待して出かけてみた。お土産品が多い。民族ダンスをみて帰りがけ、入り口近くのトイレ。コンクリート塀を掘り込んだもの。これもマークと認めよう。そのくふうを褒めたい。色づけしたらもっと映えるだろうに。
 

2007年11月19日(月曜日)更新

第60号 越後湯沢のホテル これ、おすすめ

 歯のうくような褒めことば。キスしていう司会者の声に拍手の嵐。果ては友人たちのバカ騒ぎ。今でもこんな結婚披露宴をやっているのだろうか。こういう席に長時間いるのは苦痛である。難行でさえある。なるべく断るようにしている。教師という仕事上、仲人を頼まれる。名付け親にもなった。披露宴の出席依頼はいくつか断ったこともある。教え子たちだから、断りにくいけどネ。どう成長したか、どのように立ち直ったか、それを見たくて出席した。専門学校講師になってからは、一人の学生とは週に一コマだけの講義だからつき合いは薄い。教え子の娘から招待状が届いた。口惜しくなるほどの美人になっていた。“コシヒカリ”を食べて育ったから当り前か。越後湯沢。シェラリゾートという、スキーヤー専用のホテルらしい。二階に上がる。白い板壁に可愛い幼児が直接描いてある。 
 二人ともオマル使用のようだが、幼児専用ではない。支配人の配慮を褒めたい。
 
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