トイレマーク見てある記

タウンウオッチングだと言い訳しても
エロ爺だろう!の視線を浴びて

 
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大熊昭三(おおくま しょうぞう)
1928年、埼玉県生まれ。名古屋陸軍幼年学校を経て、1951年東京教育大学文学部卒業。愛知県半田高校、北海道帯広三條高校、川崎橘高校、川崎高津高校教諭を歴任して現職を終わる。
その後、専門学校の講師を勤める。その間、多くの山に登り、アフリカに遠征してキリマンジャロやルエンゾリに登頂。
教育評論家としてTV出演、週刊誌などでも活躍する。
主な著書
「こんな教師を告発する」「組合教師亡国論」(エール出版)「学校は汚染されている」(潮文社)「恐るべき親たち」(コンパニオン出版)、共著「日教組を斬る」「日本をダメにした学者・文化人」等、著書多数。

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2007年07月30日(月曜日)更新

第44号 あじさい寺

 当節。『昭一』や『和子』などという命名法は絶滅危惧種。画数の多い漢字に、音や訓を無視した奇抜な命名が大はやり。親の資質が問われそうである。
 今どき、風俗で働く女性は本名、又はおとなしい名前が多いとか。『紫』という名の知り合いがいる。源氏物語に由来があるようで『ゆかり』。紫は帝王や神仙の色である。『紫陽花』と書くあじさいは、淡い紫のニホンアジサイが中心だが、西洋帰りのハイドランジァもよい。クリーム色、ピンク、がくあじさいなど多彩。梅雨を忘れさせてくれる華やぎがある。
 知られすぎた鎌倉明月院。一時間待ちの標示をみて、たかがあじさいと腹をたてて、踵をかえしたことがある。
 同じ神奈川。小田原の北、大雄山最乗寺のあじさい。見事な花たちを静かに楽しめる。左手奥にあるトイレ。『女子便所』と明快である。この季節だけでも紫とピンクのあじさいマークにと思ったが、禅寺にそんなものは要らんわいと一喝されそうだ。
 

2007年07月23日(月曜日)更新

第43号 当主が書いた?

 七万以上あった町村名が千と少々に減る。東京には『山伏町』『二十騎町』『乗物町』などが残っているのに、地方はなぜいそぐ。
 名前は個人が生涯負ってゆくものだが、市の名は何十万の人が死んでも背負って行かねばならぬ。
『南アルプス市』と聞いて、日本第二の高峰北岳の頂上に市役所を作ったかとびっくりした。佐倉市は千葉県。さくら市は栃木県。高知県にはすでに『土佐市』があるが、香川県に『さぬき市』が誕生した。こういうのを僭称というのだと高島俊男氏が歎いておられる(お言葉ですが)。島全体で『佐渡市』は分かりやすいが、なぜ半島の一部が『伊豆のくに市』なのか。反射炉で知られた江川太郎左衛門邸が韮山近くに保存展示されている。國の重要文化財。土間に入り、足踏脱穀機をみて思わずふみたくなった。その右手、資料館入口の左にあるトイレ。粗末な板に申しわけなさそうなマーク。まるで当主が書いたかのように古びているのがよかった。
 

2007年07月17日(火曜日)更新

第42号 くふうも独立

 街中、いたる所で幟を目にし、喫茶店でうどんは当り前の高松。私はこの地へ行くと昼〜夜、うどんで済ませる。その讃岐が東京へ進出。セルフサービスの面白さで健闘している。群馬から埼玉の北部にかけては上質の小麦の産地であった。西のうどん、東のそばというけれど、榛名湖近くの水沢うどんは豊饒なうまさである。加須もうどんマップを作って頑張っているが、あと一歩というところ。
 主な都市の食堂街で見かける杵屋はもともと大阪。札幌駅構内をウロウロしていたらその看板がみえた。ここまで進出していた。満席状態。少し待って昼食を済ませた。たかがうどん。しかし土地が違い、水が違えばうまみも違ってくる。店を出て少し行くとコンコース左手にトイレ。男性は開脚。女性のスカートは少しふくらんでペチュコート風。民営化でJR北海道になったのだから、他社と似たマークはやめよう。折角だもの、智恵も独立して北海道らしいマークをみたいもの。
 

2007年07月09日(月曜日)更新

第41号 勇気より体力

 湯殿に入っていたところを狙われた源義朝。
 知多半島先端近く、野間の御坊にお参りする人は木刀を献じるという。六十年以上も昔、『馬上、枕上、厠上』は、よい思案の浮かぶ所だと、上官に教えられた。同時に、入浴中と厠上は無防備でもある。枕もとにメモ用紙を置くくせはついたが、トイレは書庫にならなかった。本や雑誌をトイレに置いて熟読、あるいは沈思黙考。そういう御仁もいるらしい。しかし家族は迷惑だろうなあ。下腹をおさえ、走りまわって空くのを待っているのだろうか。
 マドリード(スペイン)の中央郵便局前にあるこのトイレ。東京で言えば、京橋の角あたりだろうか。日本では少し遠慮して通りから少し入った所に造るだろう。多くの人々が行き交うなか、私にはこの扉を開ける勇気?がなかった。腰をおろして黙考する勇気はさらになかった。それより、走りまわってもデパートか美術館でも探す方が先である。勇気より体力勝負である。
 

2007年07月02日(月曜日)更新

第40号 JR的ではない

 物置なら半日で組みたてられる。人が住む家なら、組みたてのプレハブでも二ヶ月以上はかかるだろう。戦国時代。一晩で城が出来るわけがない。周りを樹木でおおいかくして、その中で城造り。完成したらその樹木を取り除く。目と鼻の先に忽然と姿を現した城を見て、小田原城の北条軍はびっくりしただろう。上杉や武田も攻略出来なかった小田原城。戦いは下手でも猿智恵にたけた秀吉が考えそうな心理戦術である。それが、現在の早川駅に近い、石垣山の一夜城伝説の真相だといわれている。天守閣にのぼって小田原の街、海を一望する。魚がうまい。かまぼこ。ういろう。梅干と名物づくしの街だ。
 お隣は箱根である。新幹線、在来線、小田急線、大雄山線と駅も賑やか。南口の改札手前右手に小さな喫茶店。その右奥の方にあるトイレ。だから恐らく管理はJRではあるまい。JRでよく目にする規格的なマークでなく、店側がちょっとくふうしたものだろう。
 
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