トイレマーク見てある記

タウンウオッチングだと言い訳しても
エロ爺だろう!の視線を浴びて

 
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大熊昭三(おおくま しょうぞう)
1928年、埼玉県生まれ。名古屋陸軍幼年学校を経て、1951年東京教育大学文学部卒業。愛知県半田高校、北海道帯広三條高校、川崎橘高校、川崎高津高校教諭を歴任して現職を終わる。
その後、専門学校の講師を勤める。その間、多くの山に登り、アフリカに遠征してキリマンジャロやルエンゾリに登頂。
教育評論家としてTV出演、週刊誌などでも活躍する。
主な著書
「こんな教師を告発する」「組合教師亡国論」(エール出版)「学校は汚染されている」(潮文社)「恐るべき親たち」(コンパニオン出版)、共著「日教組を斬る」「日本をダメにした学者・文化人」等、著書多数。

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2007年03月05日(月曜日)更新

第24号 温泉という名の、、、、

 北海道の登別は熱湯の涌く温泉天国。九州の寒の地獄は水のような冷泉。露天風呂につかって星空を眺める。至福の時であろう。故竹下さんが全国の町村に一億円ずつばらまいたふるさと創生基金をもとに、掘削して造った公共温泉。温泉が出なかった村では村長が辞任に追いこまれたという。
 東京都心にはどでかい温泉施設が三箇所もあり、多数の客で賑わっているという。ま、千三百メートルも掘れば、マグマのお蔭で少しはぬるい水も涌くだろう。何らの成分を含んで二十七度以上あれば温泉というのだそうだ。
 入浴剤騒ぎ。レジオネラ菌騒ぎ。有名温泉地の騒動は記憶に新しいところだ。しかし、どうなんでしょうね、安房鴨川、すぐ目の前が砂浜という宿に、本物の温泉が出たのかどうか。もっともらしい成分表も掲げてあったが、私は目につばをつけてみた。『温泉』で客を呼ぶ気なら、こらしたマークも少しは工夫してみたらどうか。本稿スタート1号・鳥羽ホテルを見習いたまえ。
 

2007年02月26日(月曜日)更新

第23号 千葉は二つに

 太陽の笑顔が嬉しい日曜日。自宅の駐車場で、前の道路で、額に汗を光らせて車をみがきあげる。玩具に夢中になる子どもと同じような心理なのだろうか。車を持たない私は、あの真剣さが分からない。あの人たちはナンバーにもこだわるらしい。『湘南』などというご当地ナンバーが騒がれた頃もあった。かって賑わった内房の海は、湘南や外房の海にその繁栄をうばわれてしまった。東京ディズニーランドとはいうものの、浦安は千葉県である。住宅密集。交通網充実。学園は集中。千葉が躍進している。しかし木更津から南の方は一気に田舎ふうだ。浜金谷のトイレは昔ながらの木造だった。『手洗所』は館山駅のもの。『お手洗』と『お便所』を合成したような表記である。せめて『お手洗』にしたらどうか。一両のジーゼル車が走る過疎地の風景である。明るいタイル仕様の鴨川駅だが、マークには何のくふうもみられない。千葉は安房と上総・下総に分かれたらよかろう。
 

2007年02月19日(月曜日)更新

第22号 船には芸が必要

 私の田舎には見沼用水が流れているが、渡し舟はない。旅の途中、宮城の登米郡で北上川の渡し舟に乗った。知多半島の河和から乗った海上タクシーは酔う前に目的地へ着いてしまった。四国へは宇高連絡船に乗った時代の人である。宮之浦岳登山のため、鹿児島から乗った屋久島行きの船旅は長かった。北海道がトンネルによって本州と地つづきになるより、はるか昔。そう、この『ユーモアクラブ』の牽引者児玉君が高校生のころ。私は何回、青函連絡船に揺られて津軽海峡を渡ったことだろう。
 三浦半島の久里浜から金谷への東京湾フェリー。僅か35分だが、ちょっぴり船旅気分になれる。私は時折これに乗って、はるか50年前の船旅を想い出し、少しばかりセンチメタルになる。
 それにしては久里浜港の待合室にあるトイレも、フェリー船内上甲板への途中にあるトイレも、客を迎えるにしては全く芸がない。何となく安房のくにを思わせるようで、少しばかりわびしいね。
 

2007年02月13日(火曜日)更新

第21号 マークは明るく大きく

 恋。失恋。歌。合コン。バイクや車での暴走。軽薄なマスコミはそれらが青春であろうかのようにはやしたてる。将校生徒を目指した私は、名古屋北部にある学校で、勉学・体育・あるいは軍事訓練の毎日であった。やがて戦後。割れた窓ガラスから吹きこむ寒風の中、すきっ腹をかかえながら、うすっぺらなテキストを手に教授の講義をきいた。それが自分で選んだ青春である。恋に無縁だった日々を悔いてはいない。青春がなかったとは言わない。(当世の若者がちょっぴり羨ましい)軍の学校に学んだ先輩、後輩が年に一度、一堂に会する集いを『名幼会』という。幼稚園の同窓会と間違えられたこともある。
 竹芝桟橋からヴァンテァン号に乗って東京湾クルーズとしゃれこむ。デッキにあがる途中にトイレがあった。しかし照明が暗くてよく写せなかった。男女とも帽子をかむっているようだが、遠慮したように小さなマーク。私はひそかに、まちがえる人を期待する。
 

2007年02月05日(月曜日)更新

第20号 所管が違えばマークも別

 義務教育だから、給食費を払う必要なし、という親がいるそうだ。養育は親の義務だろうが。運動会で、一等・二等と区別しないでくれと阿呆親が言い、みんな仲良くゴールするよう指導するバカ教師がいる。これはもはやマンガというより怪談である。駆けっこが一等の子は国語が全く出来ない。音楽(昔は唱歌と言いました)のうまい子は工作が下手。絵の上手な子は割り算が出来ない。そうです、人間なんてみんなそんなものです。すべてに百点の子なんているはずがない。小学校時代は絵が下手。中学に入ったら数学や物理が苦手。それが当たり前だと思って私は大人になり、教師になった。
 外国へ旅行しても美術館に足を向けることは少ない。それでもプラド美術館には行った。新宿中央公園のトイレから50メートルとはなれていない所にある市民ギャラリーのこのマーク。所管ー管理者が違うからなのか。どうでもよいけど、マークまで別にすることはないだろうなあ。
 
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