ユーモアクラブの
ためになるユーモア講座

古今東西あまたの名言、格言、人生訓など「ユーモアの宝典」を連続紹介

 
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ダーク・ヒグマーノ
 (翻訳者 中山 善之)
1935年、北海道生まれ。

慶應義塾大学卒業。外資系メデァ日本支社勤務後、翻訳家に。乱読家で東西の本は勿論中国古典なども好む。
訳書としては世界中でベストセラーになっているクライブ・カッスラー著「ダーク・ピット」シリーズ全20巻(日本語版計32冊、新潮社文庫)。
ヤノフ著「原初からの叫び」(講談社)。ムーディ・jr著「かいまみた死後の世界」(評論社)など多数。
近頃は山奥での魚釣り、たまにはゴルフもするが一番は大酒のみ。

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2009年08月28日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 140

 わずか数日後には、どうやら政権交代が実現しそうだ。日本でもようやく二大政党による政権交代が行なわれるようになった、とわが国政治の成熟度を示すバロメーターのように喜ぶ向きも多いことだろう。しかし、本当に二大政党と呼ぶにふさわしい習熟度を備えているかどうか。二大政党というのは一種の美名で、とりわけ“大”という言葉には惑わされかねない。大とはむろん“おおきいこと”、“長い”、あるいは“広い”等の意味に加えて、“はなはだしい、優れている”、さらには尊敬、嘆賞の意味を持つ。例えば“大悲”、“大法”、“大学者”など。さしずめ、二大政党の“大”もこの部類に入るのではなかろうか。まあしかし、立派な二大政党を育てるのは国民の権利であり責務であるから、われわれも大いに研鑽を積まねばなるまい。

 ついでに、“大”にまつわる諺を少し拾ってみたが、圧倒的によい意味で使われている場合が多いようだ。典型的なのが、「大は小を兼ねる」だろうか。異論のある方も多かろうが。「大疑は大悟のもとい」、「大巧だいこうは拙なるがごと」、「大隠たいいんは市にかく」など。

 政権交代で世の中がどれだけ変るものか、実見するのも大いに価値があるのではなかろうか。まさに「百聞は一見に如かず」。「Seeing is believing」。どういう政権が出来ようが、有権者の投票の結果なのだから、悪しき政権が生まれても、自分がその生みの親の一人だとなると、いささか考えこまざるを得ない。「信言しんげんは美ならず、美言は真ならず」(真実の言葉は美しく飾りたてたものではない。飾られた言葉に真実はない)夢欺かれることなかれ。
 

2009年08月21日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 139

 全国どこでもそうだろうが、朝早々と衆議員立候補者が怒声にも近い声で自分の名前を唱えている。選挙法で認められているのだろうから我慢はしているが、聞きたくない自由もあるはずで、はなはだ迷惑だ。何とかの一つ覚えではあるまいし、なにかほかの方法を考える知恵者ちえしゃは選挙陣営にはいないのだろうか。今回は、いちばん騒音を撒き散らさなかった候補者に一票を投じようと、へそ曲がりはひそかに考えている。
 それに、いわゆる“虎の威を借る”候補者はご免こうむりたい。わが選挙区で立候補している方のために1党の総裁が飛来し、“私の監督不行き届きのために、あのような会見になりまことに申し訳ない・・・”と応援演説をしたそうだ。これぞまさしく恥の上塗り。情けが仇。これで、選挙結果が見えたようなものだが、果たしてどうなるか。選挙民の良識の試金石でもある。

 毎年の事ながら、八月になると敗戦にいたる経過のことがどうしても思い返される。なぜ、さながら狂ったレミングの大群のように、アジア・太平洋戦争に突入していったのか。日清、日露戦争に連戦連勝。わが身の実力のほどを知らずに思い上がり全国中が提灯行列に酔い痴れ、三国干渉には全国民が怒りを沸騰させ、狂奔して第二次世界大戦の仲間入りをして挙句の果てが無残な敗戦。昨今、一部軍部の暴走という見方で片づけようとしているようだが、国民の大多数が戦争を支持し大勢に順応したことを、少なくとも戦争世代の人間は反省し、当時の実態を正しく伝える義務がある。しかも、中国を蹂躙して官民共に得意になっていた時期があったことは、正史に書きとどめておかなくてはならない。反省もこめて、井伏鱒二の「黒い雨」大岡昇平の「野火」でも読み返すとしよう。
 

2009年08月14日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 138

 第一報があってからもう一週間以上経つだろうにいまだに朝昼晩とテレビ各社が、一人の女性タレントに覚醒剤使用嫌疑ありとしきりに報道しているのには驚いた。いまどきの日本にそんな人物はいないだろうが、まるで国家的英雄が破廉恥罪でも犯したようなあまりにも過剰な報道ぶりにはあきれた。新聞報道も負けず劣らずだ。調査報道(investigative reporting)の積もりなら、いささか心得違いではあるまいか。それは関係当局の捜査が遅滞している不正な事件を独自に調査し、実体を広く知らしめることだからだ。問題のタレントの足取りまで調べることなど当局に任せておけばよいことだ。もっと報道しなければならぬ問題がいくらでもあるだろうに。
 
 それにしても、この一件に関するTV報道の視聴率が三〇数パーセントだったとか、これにも驚かされた。それに、これほど大騒ぎされるアイドルのことをまったく知らない自分にも驚いている。知っていようといまいと、生きていくうえでなんの痛痒(つうよう)もないのだが。しかし多少、浮世離れしすぎかも知れぬ。用心する必要ありか。それにしても、お盆で娑婆にお帰りの戦場であるいは原爆や空襲で命を奪われた仏様たちは、なにわともあれ、TV報道などを目の当たりになさったなら、いまの日本は平和で結構だとお喜びになるかもしれない。そう思えば、あまり拘ることもないか。

得意時、便生失意之悲」(菜根譚) 得意の時、便すなわち失意の悲しみ生ず。また曰く。「人情反復、世路岐嶇きく」(同上)人情はたなごころを返すごとく変る。この世を生きていくことは山道を行くが如し。
 

2009年08月07日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 137

 八月は夏休みがあるので、子供の頃は確かいちばん楽しい月だったように思う。しかし、昔を省みる歳になるにつけ、八月は辛い月になってきた。六四年前の八月十五日を持って、私は敗戦の恥辱の中に投げ出されて生まれ変わった。その日を境に、昔のニュース映画でよく見かけられた上野の浮浪児にも似た極貧生活を私は一年半にわたって強いられた。しかし、私など文句の言えた義理ではない。ともかく生き延び、八月になるとろくに食べ物にありつけなかった昔を思い出して生存本能が働き食欲旺盛になるためか、ダイエット中の身には嘆かわしいことになる。こんなことをぼやいていては不謹慎と言うものだろう。現にこの原稿を書いている八月六日には、六四年前に無垢の夥しい数の広島市民が原爆を投下されて無残にも命を奪われていたのだ。そして、九日には長崎でも。先ほどから、近くの寺で鐘の音がしている。鎮魂の鐘。
 
 過日、アメリカで行われた原爆使用の是非を巡る世論調査では、六割以上が支持していると報じられていたが、われわれが注目すべき点は二割以上のアメリカ市民が支持していない事実だろう。正義の国を標榜するするアメリカでも、誤りを認める人たちがこれだけいるのだ。この数は大きい。核廃絶の望みはある。しかしその前に、戦争そのものをなくしたいものだ。

どんな戦争であれ始めるのは簡単だが、止めるは至難の業である。始めるのはどんな臆病者でもやってのけられるが、止めるのは戦勝者が止める気になったときに限られる」――サルスティウス「ユグルタ戦記」
 

2009年07月31日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 136

 前回に続いて、今回も網走小旅行をテーマにしようと思っていたら、志賀直哉に「網走まで」と言う小説のあることを思い出した。まだ若い頃に読んだので内容はほとんど忘れてしまったが、網走までは五日掛りだ、と言う一節があったように思う。書かれたのが明治時代の末だから、網走という僻遠の土地が作家の想像力を刺激したのだろう。網走とはアイヌ語ではア・パ・シリ、“岩が二つある”という意味だそうだが、確かに海辺に奇岩というか巨岩がそそり立っている。
 網走に行く前にサロマ湖に立ち寄った。初見のサロマ湖はなんとも雄大で、アイヌ語でサル・オマ・ベツ、葦の生える佐呂間別川が流れこむ湖ほどの意味らしいがそんな愛らしい佇まいではなく立派な海を思わせた。周囲八七キロ。海抜〇メートル。湖岸を離れてオホーツク沿岸を走っていくうちに、海に突き出た能取岬に着いたので下車して海辺まで行ってみた。荒涼とした絶景だが、あまりの寒さに五分と経たないうちにみんな車に引き返した。時は七月一六日。あのトムラウシ岳で遭難者事件が起きた日だ。海抜ゼロメートルに近い場所であの寒さだったのだから、二千数十メートルの山頂付近では、高度が一〇〇メートル増すごとに気温が一度下がると言われているから、体感気温はマイナス以下だったろう。そのうえ、強風が吹き荒れ雨が降っていたそうだ。犠牲者の冥福を祈る。
 山は豹変する。雨雲一つ来ただけで、別の山になる。トムラウシ岳はアイヌ語では、花の多い所という意味もあるらしく登山者には人気のようだが、自然は猛威も秘めている。“君子は豹変す”と嘯いて選挙に出馬するかつて失言で詰め腹を切らされた大臣に贈る言葉。それは誤用。“君子は豹変し、小人はおもてあらた”の真意は、君子は日々進歩し、小人しょうにんは表面をつくろい人の意に従う、です。念のため。
 
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