ユーモアクラブの
ためになるユーモア講座

古今東西あまたの名言、格言、人生訓など「ユーモアの宝典」を連続紹介

 
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ダーク・ヒグマーノ
 (翻訳者 中山 善之)
1935年、北海道生まれ。

慶應義塾大学卒業。外資系メデァ日本支社勤務後、翻訳家に。乱読家で東西の本は勿論中国古典なども好む。
訳書としては世界中でベストセラーになっているクライブ・カッスラー著「ダーク・ピット」シリーズ全20巻(日本語版計32冊、新潮社文庫)。
ヤノフ著「原初からの叫び」(講談社)。ムーディ・jr著「かいまみた死後の世界」(評論社)など多数。
近頃は山奥での魚釣り、たまにはゴルフもするが一番は大酒のみ。

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2008年10月10日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 100

 どうでもよい事ながら、私が生まれたのは昭和10年10月8日で、10日生まれなら10が三つそろい、何の 変哲へんてつもない日付にも多少なりと面白みも出てくるだろうにと先日誕生日を迎えてふと思った。親が気を利かせて10日にして届ければよかったのにとつまらぬ事を考えているうちに、八のほうが 末広すえひろがりで 縁起えんぎがよいと考えてあえて8日付けで届けたのかもしれないと思い当たった。案外、親御心とはそういうものかもしれない。遅まきながら、親の心情を推察した。こっちも歳をとったということだろう。

 ところで 物議ぶつぎをかもした、“後期高齢者”という呼び方だが、第一線を引退しお年寄りを英語ではgolden agerと呼ぶ。したがって老人クラブはgolden age club。こういう思いやり、 敬愛心けいあいしんが欲しいものだ。心の美しい人、寛容な人はa heart of gold. Gold(金)が登場したので、金にまつわる金言(golden saying)をいくつか紹介する。まず皆さんよくご存知の、光るものがすべて金とは限らない(All that glitters is not gold)。それに、Speech is silver, silence is gold.雄弁は銀、沈黙は金。当節に通用するかどうか、いささか疑問がないではない。

 世界中で株価が大幅に下落して話題になっているが、金本位制度はgold standard,したがって銀本位制度はsilver standard.金本位制を唱える経済学者はgold economist,銀本位の先生はsilver economist.
誕生日にちなんで。裕福な家庭に生まれることは、当方には無縁だが、born with a silver spoon in one’s mouth。銀のスプーンをくわえて産まれてきた。
 

2008年10月03日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 99

 はや九月も終わらんとしている。予定は決定にあらず。今月中に、渓流の女王たちが棲んでいる山奥のわが隠し沢に、久しぶりで釣りに行くつもりだったのだが、時間的に絶望的になってしまった。十月に入ると、水温が急激に落ち魚の動きが鈍るので釣果ちょうかは望めない。あの小沢の美しい水の精たちは、今年もまた私に会えずさぞ寂しい思いをしているだろう。と思うのはこっちの勝手な思いこみで、残念ながら彼女たちは命拾いをして喜んでいることだろう。

 出不精でぶしょうになったのは、くるぶしを傷めた事もあるが、運転をしない私には欠かせないアッシー君や釣り仲間が移転したり身体を悪くしたりしたためで、如何いかんともしがたい。そこで、劉備りゅうびにはほど遠いが、“髀肉之嘆”(ひにくのたん)をかこつことになった。三国時代(しょくの蜀の劉備は魏の祖である曹操そうそうと戦って城を追われ、同姓のよしみで劉表りゅうひょうの許に客将として身を寄せる。毎日、ぜいを尽くしたもてなしを受け、馬をって戦場を駆けめぐることなく過ごすうちに、髀肉(腿の肉)がついてしまったと嘆いたという。その後、劉備は蜀の初代皇帝になったというから只者ただものではない。

 もっとも勇躍馬上、戦場に駆り出したからといって喜んでばかりいられない。例えば、A horse may stumble though he has four legs。四本足の馬が転ぶ事だってある。御もっとも。ゆめゆめ、油断するなかれ。
 道のべの槿木(むくげ)は馬にくわれけり。秋ふかし隣はなにをする人ぞ。(芭蕉)それにしても、あの沢の愛らしい魚たちはどうしているだろう。我がことのように気にかかる。
 

2008年09月26日(金曜日)更新

ユ−モアクラブのためになるユ−モア講座 98

 秋との関連で、このところ“馬”にまつわる諺や名言成句などに当たってみたついでといってはおこがましいが、あちら様の諺格言に当たってみた。まず、皆さんよくご存知の、You can take a horse to water, but you can’t make him drink.。馬を水際まで連れて行くことは出来るが、水を飲ませることは出来ない。嫌がることを無理強いするのは無駄とも、人には譲れないことがある、とも解釈されている。
 Don’t change horses in midstream。これは彼のリンカーンが、ほかの党から大統領に立候補するように勧められたときに吐いた名セリフ。流れの途中で馬は乗り換えるべからず。この場合の馬は、政治信条なり選挙運動を指している。

 It is useless to flog a dead horse 。死馬にむちをふるっても無駄。過ぎたことは諦めが肝心。If wishes were horses, beggars would ride。望んで馬が手に入るのなら、誰だって馬に乗って歩くだろう。高望みは勝手にどうぞ、ほどの意味か。Don’t look gift horses in the mouth。お祝いにくれた馬の口の中を見るな。馬は歯で歳がわかるから。贈り物を頂いたときには、失礼なことをしてはいけないとのいましめ。

 Horse, a horse, my kingdom for a horse。馬だ、一頭の馬。馬一頭と引き換えに我が王国をくれてやる。これはシエクスピアの「リチャード三世」の第五幕で、戦場で馬を切り殺され苦戦に陥った同国王が吐く悲痛なセリフ。しかし今日では、さほど重要でないものを必要とするときに冗談半分に使われる例が多いようだ。冷たい一杯のビールを飲ませてもらえるなら、腕の一本ぐらいくれてやる。あるいは、ネコの手でも借りたいの類か。
 

2008年09月19日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 97

 前回紹介した、“新涼郊墟しんりょうこうきょる、燈火とうかようやく親しむべし”の郊墟の郊は野原、墟は丘を意味している。初秋の涼しさが野や丘に訪れた。ようやく、燈火に親しむときだ。読書と来たら、誰しもまっ先に、“読書百遍義自らあらわる”を思い出すのではないだろうか。さらには“読書三到さんとうとう)”と“読書三余さんよ”だろうか。前者は読書の要諦を説いた名言で、三到とは口到こうとう眼到がんとう心到しんとうの三つを言い、口に余事を言わず、目に余事を見ず、心に余事を思わずに、その三つに全神経を到らしめて(集中して)反復熟読するなら文章の真意を会得できるという教え。後者の三余は読書に適した三つの余暇を指している。すなわち、冬、夜、それに長雨の折。すっかり日本の故事成語のようになっているが、いずれも古代中国の偉人賢人の残してくれた有益なお言葉。

 秋の声を聞いて、私もさっそく先人の教えにならい何冊か本を読んでみた。第一作は、「外套・鼻」(ゴーゴリ作、平井 肇訳、岩波文庫)だった。これまでに何度も買い求め、何度も読んだ作品だが、今回また久方ぶりに新ためて読んでやはり感動した。内容はいっこうに古くなっておらず、名作の輝きを失っていなかった。訳文も生気に満ちていた。ほかにも読んだが、ここで紹介するもう一冊は、本棚の奥から探し出した太宰治の「津軽通信」(新潮文庫)。太平洋戦中に故郷である青森県金木に疎開していた当時から戦後にかけて書かれた短編集だが、生来のユーモア精神が横溢していて楽しく読めた。もう一冊は、いささか必要に迫れて読んだ、サマーセット・モームの短編集の第一巻(PENGUIN BOOKS)に収録されている「RAIN」。彼一流のシニシズムは健在だった。温故知新
 

2008年09月12日(金曜日)更新

ユ−モアクラブのためになるユ−モア講座 96

 秋と馬の連想から、さらに思い出されるのは簡にして要を尽くしたの有名な手紙“一筆啓上火の用心、お仙泣かすな馬肥やせ”。もっともこの名文句が書かれたのは秋ではなく、遠い天正三年(1575)六月、長篠ながしのの合戦の陣中においてだった。家康の懐刀で、後年、鬼作左おにさくざと呼ばれた本多作左衛門が妻に送った便りで、お仙は長男仙千代を指しており、長男に加えて軍馬が重視されていたことが窺える。
 
 馬は古くから人の役に立ってきたせいか、諺や比喩などに登場しても、ほかの動物に比べて総じてよい扱いを受けている。“天馬空てんばくうごとし”などと駿馬しゅんめに例えて、豊かな才能をほめることばもある。“老いたる馬は路を忘れず”(識路老馬)。同様な意味の、“老馬の智もちうべし”(老馬之智可用也)もある。出典は韓非子かんぴしの「説林上」。老馬に例えて、聖人の知恵を大切にすることを説いている。“老驥暦ろうきれきに伏すとも志千里に在り”。老いたりとはいえ駿馬は、暦すなわち馬小屋に伏すとも、千里の遠き野を駆けめぐる志を捨てはしない。例え駄馬であろうと、志だけはかくありたいものだ。

 もっとも、“馬耳東風ばじとうふう”とか“馬脚ばきゃくあらわ”(露出馬脚)という成語もある。“東風”とは心地よい春風を指す。これは李白が仲間の王十二おうじゅうにの贈詩「寒夜かんやに独酌どくしゃく有懐おもいあり」に返した答詩に出てくる言葉で、馬が春風に感動しないようにと八つ当たりの感無きにしも非ずだが、優れた詩に世人が耳を傾けないと嘆くくだりで登場する。
 秋は“収穫の秋”であり、“読書の秋”でもある。どちらさまも、“新涼しんりょう郊墟こうきょに入る、燈火ようやく親しむべし
 
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