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2008年07月25日(金曜日)更新
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ユーモアクラブのためになるユーモア講座 90
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ある実業家が街中の広場を通り抜けようとしていると、みすぼらしい姿をした呑んだくれの浮浪者に呼び止められた。彼は「旦那、硬貨を一枚恵んでいただけませんか?」と物乞いをした。すると、見るからに読書家タイプの事業家は答えて曰く。「悪しからず、ご免こうむる。“借り手とも貸し手ともなるなかれ”―シェクスピア」
飲んだくれは相手を睨みつけって言い放った。「“きざな台詞を吐きやがる”―スコット・フィッツジェラルド」
“Neither a borrower nor a lender be”金は借りたり貸したりするな・・・は「ハムレット」の第一幕第三場で、デンマークの宰相ボローニアスがパリ留学へ発つ息子レアティーズに与えている人生訓の一部で、さらにこう続く。“貸せば金も友人も失い、借りれば倹約の意思が鈍る。なにより大事なのは、己に誠実であること・・・”
ところで、“きざな台詞を吐きやがる”は飲んだくれに肩入れした私の意訳で、原文は“Fuck you”。Fuck you very much.これは思いやりのなさに対する憤りを表わす皮肉な表現で、なんともありがたいことぐらいの意味がある。その意味を重ねた上で、相手がシェクスピアの台詞を引用したことへの呑んだくれのささやかな意趣返しこめてある。“Fuck you”と応じ、スコット・フィッツジェラルドの名を挙げたあたり、浮浪者の当意即妙ぶりはなかなかのもので、“fuck you”なら出典の作家名として誰を引き合いに出しても尻尾を捕まれる恐れはまずないだろう。
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2008年07月18日(金曜日)更新
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ユーモアクラブのためになるユーモア講座 89
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先日、男ばかり五人で目下日本最北の稚内市と利尻、礼文の二島を巡ってきた。晴天の日に宗谷岬に立つと、雲海遥かにではなく指呼の間に樺太()(サハリン)が望まれるそうだが、あいにくの曇天で対岸の島影は望めなかった。しかし、映像などで見るといかにも近い。それだけに、数十年経過しているのに、領土問題が一向に進展しないのがもどかしく感じられた。遺憾ながら寄る年波のせいか、認めるのは癪だが、一個の荷物と化して車で見物して回り、宿で飲み食いしていただけなのに旅の疲れがなかなか抜けない。
遊ぶのも疲れるものだと実感し、あらためて、旅先で風邪に取りつかれた作家内田百間先生の名文句を思い出した。「ふだんは・・・じっとして、ぼんやりしていて、いくらでも時間をたたせる事が出来る。今日はそれが出来ないと云うのは、矢張り加減が悪いからで・・・これに由って観るに、なまけるには体力が必要である」
それにしても、“後期高齢者”とお見受けする矍鑠たる旅行客の姿がたいそう多く、日本の経済状態は以外に底堅いのではないかなどと即断をして楽観したものの、そこはずぶの素人の悲しみ、生きているうちが華とやけを起して旅をしているのではないかと己に照らして反省したり、胸中はなかなかに忙しかった。
“旅は道ずれ世は情け”とも“旅は情け、人は心”とも言われる。“到着より心楽しい道中のほうが優る”という台詞もあるが(It is better to travel hopefully than to arrive)これは目的の達成を目指している間の楽しみのほうが、達成感に優る、と努力を勧める教えのようだ。 Keep traveling! こちらは命令形ですが旅を続けろではなく、消え失せろ! では、失礼。
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2008年07月11日(金曜日)更新
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ユーモアクラブのためになるユーモア講座、88
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人に愛されて一生を送った前出の王維に引き換え、ユーモア講座に投稿してくださったKAWASEMIさんお気に入りの詩「涼州詞」を残した唐中期の詩人王翰はよく言えば奔放不羈、悪く言えば驕慢の嫌いがあったか謗りを受け、功績があったにもかかわらず宰相張説の没落とともに地方に飛ばされる。しかし、彼が歌った「涼州詞」は唐代を代表する七言絶句の傑作の一つとされているのだから、彼も以ってすべきか。まさに、“芸術は長く人生は短し”か。余談ながら、この諺の原典は古代ギリシャの科学に基づく医学の始祖ヒッポクラテスが医術の習得の難しさを教えるために言った、Ars Longa,Vita Brevisらしい。
それはともかく、「涼州詞」
“葡萄美酒夜光杯 欲飲琵琶馬上催 酔臥沙場君莫笑 古来征戦幾人回”(葡萄の美酒夜光の杯、飲もうとすると馬上で琵琶をかき鳴らして酒興を催すものあり。酔うて戦野の砂漠に臥している私を笑わないでくれ、昔から辺境の戦地に赴いて帰還したものが幾人いるだろう)王翰もこよなく酒を愛したと伝わっている。
一方、文人宰相の誉れ高い張説も、酔中作」という傑作がある。“酔後方知楽 彌勝来未酔時 動客皆是舞 出語総成詩”(酔後方楽しみを知り、彌彌未だ酔わざるときに優る。客を動かせば皆是舞にして、語に出せば総て詩になる)
まさに、“年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず”(劉廷芝)
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2008年07月04日(金曜日)更新
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ユーモアクラブのためになるユーモア講座 87
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何回か前に紹介した、“酒を酌んで君と与にす、君自ら寛うせよ。人情の・・・”と詠った王維の別の五言絶句に、ご存知の方も多いだろうが今回も登場してもらった。“九月九日憶山東兄弟 獨在異郷為異客 遥知兄弟登高処 遍挿小一人 毎逢佳節倍思親”(今日は九月九日。菊の節句だ。山東の兄弟を憶う。独り異郷に在って異客と為り、遥かに知る兄弟高きに登る処。――高きに登る登高の行事とは、菊の節句に高いところに登って病疫災厄払いをし、(カワハジカミ)を冠や屋根などに挿して一年中の息災を祈る慣わし――異郷に在るものは、季節ごとに故郷の両親への思いを深くする)
時期的には早すぎるこの詩に登場してもらったのは、両親兄弟思いで、若くして妻を失いながら終生独り身を通したという心優しい彼が、安禄山の乱(756−763)に加担したとして逮捕された際には、あえて薬を飲んで一時的に口が利けなくして身の潔白を守り通したことに感激したせいもある。乱平定後には国政へ復帰、中枢機関尚書台の高官(内閣書記長)まで上り、退官後は悠々自適61歳で世を去る。南宋画の祖とも自然派の詩人として、詩仏王維と詩仙李白、詩聖杜甫と並び称される。人生の辛酸をなめたにしろ、心の幸せな人のようだ。
唐朝に仕えた胡人の武将で、玄宗皇帝に重用された安禄山が謀反を起こした根本原因は、玄宗皇帝が35歳違いの傾国の楊貴妃を溺愛し、彼女の年上の 従兄 妹揚国中が大臣にまでのし上がり国政をほしいままにしたところにあった。安禄山は実の息子を無視して、外に設けた子供を愛した怨みを買い、実子に惨殺される。揚国中は安禄山の乱で、玄宗に従って四川に逃げる途中で楊貴妃ともども殺された。世の有為転変に定めなし。今も昔も変わりなしか。
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2008年06月27日(金曜日)更新
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ユーモアクラブのためになるユーモア講座 86
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“精神的に孤立する者は身勝手な欲望を求め、自ら会得すべきあらゆる知恵に背く”どうも最近は、この至言に当てはまる方が老若を問わず増えているようで、なんとなく憂鬱だ。(One isolating himself will seek his own selfish longing,against all practi−cal wisdom he will break through)自ら疎外する者、あるいは自ら殻に閉じこもる者、と解してもいいだろう。
“頑迷な者は見識を喜ばず、自己主張するばかり”(Anyone stupid
finds no delight in discernment,except taht his heart should uncover)
もう一つ,捨てがたい箴言。“自己満足は破滅に、傲慢は崩壊に通じる”(Pride is before a crash,and a haughty spirit before stumbling )
昔なら、さしずめ拳拳服膺(いつも心の中にささげ持って忘れない)すべきありがたい教えというところだろう。“怒ることの遅い者は勇者に優る・・・”(He that is slow to anger is better than a mighty man)これからしばらく鬱陶しい梅雨の日々が続きますが、どちら様も頭をよく冷やし心のどかにお過ごしくださいますように。出典はおのずからお分かりでしょう。
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