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2008年05月16日(金曜日)更新
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ユーモアクラブのためになるユーモア講座 80
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全国的に話題を提供していた桜前線も、今年もまたさまざまな賑わいとともに国中を通過したようで、行過ぎてしまえばあっけないほど短い道行だった。私も通りすがりに、数本の桜花を楽しませてもらったが、何日か後に通りかかったときには、跡形もなく散ってしまっていた。本来は、この世の移り変わりの激しさの喩らしいが、まさに文字通り、「三日見ぬ間の桜」。だが、桜ならではの余韻が漂っていた。
そこで、またまた兼好法師。「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。・・・咲きぬべきほどの梢、散り萎れたる庭などこそ、見所多けれ。・・・殊にかたくなる人ぞ、“この枝、かの枝散りにけり。今は見所なし”などは言ふめる」
似たような心境に、「花は半開を看、酒は微薫に飲む、此の中大いに佳趣あり」(花看半開、酒飲微薫、此の中大有佳趣――菜根譚)満開、泥酔を追い求めないところに、本当の味わいが出てくる。
「水流急に任せて境常に静かなり、花落つること頻りなりと雖も、意自ら間なり」出典同上。(水の流れは速いが、あたりは静まり返っている。花がしきりに散っているがそれを眺めている我が心は長閑である。
「百聞は一見に如かず」は「Seeing is believing」。では、You will never see 20 againは。二十歳は過ぎてしまった。青春の日々は帰らない。Be seeing you!
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2008年05月02日(金曜日)更新
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ユーモアクラブのためになるユーモア講座 79
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いよいよ爽やかな五月。木々の緑が一段と色濃く鮮やかになり、それと共に空気も澄み渡る。それに、女性の美しさが輝く時期。おりしもゴールデンウイーク。なべてこの世はこともなし、と行きたいところだが。“哀れなる皐月きにけり・・・”と詠った詩人もいる。“虎の威を籍る狐”ごとき大人物たちが国を憂い顔で跋扈している様は、せっかくの香ぐわしい時節を損なうことおびただしいが、彼らはほかならぬわれわれの選良である。われわれが選んだ人物。少し考えてみる必要があるようだ。
ところで五月には雨が意外に降るようだ。ご存知、芭蕉の“五月雨をあつめて早し最上川” “笠寺や窟ももらず五月雨”もう一句。“湖水はれて比叡降りのこす五月雨”雨ばかりでは鬱陶しいので、“笈も太刀も五月に飾れ紙幟”それに爽やかに。“目にかかる時やことさら五月富士”
少なくともひとかどの政治家は、毀誉褒貶に堪えなければならない。アメリカの第二十七代の大統領ウイリアム・ハワード・タフト大統領(1857−1930)が、居室で寛いでいると、一番下の息子が失礼な物言いをした。それを聞きとがめて、夫人があなた息子を罰しないのですかと訊くと、大統領はこう答えた。
“いまの言葉が父親に対するものなら、罰して当然だ。しかし、大統領に対して吐いた言辞なら、それは憲法で保障された権利である” (・・・、that is his constitutional privilege)
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2008年04月25日(金曜日)更新
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ユーモアクラブのためのためになるユーモア講座 78
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“国の垢を受くる、是れを社稷の主と謂う”(受国之垢、是謂社稷主―老子)社稷とは国家を意味する。国家の主人公は、国のいちばん悪い点を引き受けて対処しなくてはならない。また、老子曰く。“民、死を畏れんずば、奈何ぞ死を以って之を懼れしめん”(民不畏死、奈何似死畏之)悪政にあえぐ民は、死を望むようになる。死をも恐れない民に死刑をもって望んでも脅しにもならない。さらにもう一つ。“天下に忌諱多して、民弥々貧し”(天下多忌諱、而民彌貧)忌避は民を規制する禁令。禁令が多すぎると、民は貧困に陥る。さすがは老子、千数百年前にすでに万事見抜いておられた。
先人たちの残した寓言、箴言には味わい深いものがある。最近、気に入った名言。“空中に投げられた石にとっては、落ちるのが悪いことでもなければ、昇ることが善いことでもない”(マルクス・アウレーリウス、「自省録」神谷美恵子訳)
“書き方と読み方は、まず教わらなくては教えることができない。まして人生においておや”(同上)
“他人の傷跡をあざ笑うやつは、傷の痛みを経験したことがないからだ”(He jests at scars that never felt a wound)後存知、シェクスピアの「ロミオとジュリエット」に登場する台詞。もう一つ;
“どれほどといえる愛には卑しさがある”(There 's beggary in the love that can be reckon’d)「アントニーとクレオパトラ」より。
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2008年04月18日(金曜日)更新
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ユーモアクラブのためになるユーモア講座、77
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春宵一刻直千金(蘇武の春夜詩)の季節だが、このところどこに目を転じても心嬉しくなることは、残念ながら皆無だ。腹立たしい事例には事欠かないが、入学金未納の新入生を入学式に出席させずに、別の部屋で待機させた高校があったそうだ。その生徒たちが受けるだろう心の痛みに思いが至らない教育者たち。かつて聖職者か労働者かを巡る論争があった。あれを境に、教育者は変質したのだろうか? “金が恨みの世の中”“金を取るの時、人を見ず”(列子の説符篇)欲に目がくらんで、何事も顧みない。欲に目がくらんだわけではないにしろ、列子の寓言を先生たちに進呈する。
金は大切なものだが、“金銭を愛することはあらゆる悪の根源”(The love of money is a root of all sorts of injurious things) という教えもある(テモテへの手紙)。金が万能ではないことの表現として英語では、not everybody’s money という言い方もある。その一方、成るも成らぬも金次第、という諺もある。
ところでわが国でもよく知られたアメリカの人類学者マーガレット・ミード(Margaret Mead 1901−1978)は、教師たちに向かってこう話したそうだ。「今日の世界には、二種類の先生しかいません。五年ごとに全面的に学習しなおす先生たちと、生徒たちは年毎に悪くなるという先生です」(and those who say, the children are getting worse and worse)人材の育成にきわめて重要な役割を担っておられる全国の諸先生には、ぜひにも日々の研鑽をお願いしたいものだ。
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2008年04月11日(金曜日)更新
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ユーモアクラブのためになるユーモア講座 76
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かなり以前になるが、「エクソダス(Exodus)」という映画があった。十九世紀末からイスラエル建国までの物語で、主演はポールニューマンとエヴァ・マリー・セントだった。邦題は「栄光への脱出」。原題のエクソダスは、集団的大移住を意味する。
最近話題の、“後期高齢者医療制度”なるものを考え出した、我が日本の貧困な政治思想を考えると、この国を捨てて本気で“エクソダス”を考えるほうがよさそうだ。名称はむろん、その制度の基本思想も激しいい批判を浴びると、“長寿医療制度”と名称をお手軽に変えたのにはあきれた。せめて憂さ晴らしに、自分好みの楽園探しをして楽しい夢でも見るとしようか。
彼の有名なウインストン・チャーチルも八〇の半ばを過ぎ、人手を借りて階段を下りるようになった。手を貸していた一方の男が彼の背後で、“ご老体はかなり弱ったな”というと、もう一方の男が、“頭がいささかお目出度くなったらしいぜ”するとチャーチルが聞きとがめて、“その通り。それに世間では耳も遠くなったといっているらしい”(Yes, and they say also that he’s getting hard of hearing)これくらい、意気軒昂で行きたいものだ。
「楽しみ以って憂いを忘る。老いの将に至らんとするを知らず」辛いこと苦しいことがあっても、憂いを忘れる余裕と趣味を持とう。精進を続けるならば、人生の終わりがち近づいていることなど気にならないものだ。孔子様のお言葉だから信じて生きましょう。「老いてますます壮んなるべし」(後漢書)という言葉もある。
高齢者の皆様、“嫌われ者世にはばかる” つもりで、なにか趣味にでも打ち込んでせいぜい長生きしましょう。
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