ユーモアクラブの
ためになるユーモア講座

古今東西あまたの名言、格言、人生訓など「ユーモアの宝典」を連続紹介

 
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ダーク・ヒグマーノ
 (翻訳者 中山 善之)
1935年、北海道生まれ。

慶應義塾大学卒業。外資系メデァ日本支社勤務後、翻訳家に。乱読家で東西の本は勿論中国古典なども好む。
訳書としては世界中でベストセラーになっているクライブ・カッスラー著「ダーク・ピット」シリーズ全20巻(日本語版計32冊、新潮社文庫)。
ヤノフ著「原初からの叫び」(講談社)。ムーディ・jr著「かいまみた死後の世界」(評論社)など多数。
近頃は山奥での魚釣り、たまにはゴルフもするが一番は大酒のみ。

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2010年09月10日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 185

 いや、恐れ入りました。昨日は白露はくろ。ものの本によると、白露とは「二四節気の一つで、・・・すなわち太陽暦の九月八日ごろにあたり、このころから秋気がようやく加わる。玄鳥帰。鴻鳥来。」玄鳥げんちょうすなわちツバメは帰り、鴻鳥こうちょうすなわち大きな鳥ガンが北から来るとある。まさしく昨日から、私の住んでいる都市(まち)では秋風が立ち、まさに、「・・・風の音にぞおどろかれめる」で、夕方から市内の景気探訪(?)に出るときには薄手のセーターを上に着てちょうどよかった。これでは夏中ベッド脇に置いて風を送ってもらった扇子も御用納め。秋暑しとも言うが、秋扇あきおうぎ(秋になって無用になる扇)となりそうだ。自然の摂理には恐れ入るばかり。いまだ酷暑に苛まれている地域の方に。秋はもうすぐそこまで来ています。逝く夏をせいぜい惜しみましょう。

蚊帳やめて僅かな手間のその楽さ
生りめの柿は木にあるうちに配り」いずれも、川柳の選集「柳多留」より。
朝がほや一輪深き渕のいろ」これもなかなかいい。さすが蕪村。

 また、読書の秋。秋の夜長は灯火親しむの候とも言われているが、最近は活字離れが急速に進んでいるらしいく嘆かわしい限りだ。言葉涼し(物言いが美しい)。言葉は立居を表す(言葉はその人の性行を示す)。言葉は身のあや(言葉は当人の品格を表す)
秋深し隣はなにをする人ぞ」みなさんご存知の松尾芭蕉の名句。さぞかし、愛読書でも読んでいるのだろう。
 

2010年09月03日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 184

 言うほうも聞くほうも、いいかげんうんざりだろうが暑い。いよいよ、地球の温暖化本格化か思いたくもなるが、地球物理学者や気象学者に言わせると、この程度の変化は何十万年単位で見るといわば日常茶飯事で、両極の氷河の縮小など現代のわれわれの生活様式とは何の関係もないと仰る先生もおられる。そうで有ってくれればと思うが、にわかに信じかねる気分も残る。

 禅僧快川かいせんは攻め入った織田勢に火をかけられた恵林寺山門で端座焼死した際に、あの有名な「心頭を滅却すれば火もまた涼し」と唱えたと伝えられている。雑念を払えば、火でさえ熱くは感じない、という教えらしい。修行などとは無縁な当方には、何とかの一つ覚えのように、暑い暑いと唱えながら無為に一日を過ごすばかり。
 せめて、「秋来ぬと目にはさやかに見えねども、風の音にぞおどろかれめる」(藤原敏行、古今集)ぐらいになって欲しいものだ。

 秋のことを英語といってもアメリカではfall と一般にいうようで、落ち葉の時期にちなんでいるらしい。ところで、同じ秋でもautumnの方は文語的な感じが強く、the autumn of life といえば人生の初老期。まかり間違っても、the fall of life とは言わないように。これだと、落ち葉マークと同様な意味になってしまう。Fall
には堕落の意味もあり、the Fall of Manとなるとアダムとイヴの原罪の意味になる。

 九月がこう暑くては、北国では秋抜きで一挙に冬になるのではと囁かれ始めている。例年、十月末には初雪が舞う。あるいは年内残暑が続くのか。地質学的年代の尺度で、こちらも気長に行こう。
 

2010年08月27日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 183

 全国的に猛暑。残暑お見舞い申しあげます。あの年の八月も、当時、私がいたハルピンでは、例年になく暑かったように思う。敗戦のショックで、それ以前のことはほとんど忘れてしまい、十五日前後の記憶も怪しいのだが、時局のせいで、下働きをしていた中国の少女を母親が郷里へ帰えらせたことがあった。親はなく、親類の漢民族を頼って行っても、満民族の間で育った私には向こうの言葉すら分からないので日本へ連れて行ってくれと泣きながら頼んでいた姿を思い出した。あれが、中国の広大さ、さらには漢民族と満民族の違いを鮮烈に思い知らされた瞬間だった。

 それに、ハルピンは精強百万と謳われた関東軍の一大基地の一つだったはずだが、彼ら精鋭が現地人の保護にほとんど姿を見せなかったのはいまだに釈然としない。孤立していたわれわれ女子供たちの救出に来たのは、意外や憲兵隊が分乗した二台のトラックだった。あのトラックの来るのがあと数時間遅れたなら、集団自決の山が出来たことだろう。

 史記にあり。「戦いは逆徳なり、争いは事の末なり」戦いは徳に逆らうものである。また孫子曰く、「兵は詭道なり」戦争は謀略を弄し、敵を欺く奇策である。正道にあらず。しばらくなら暴れてみせましょうなどと、真珠湾に奇習をかけるなど、論外だ。孫子また曰く、「軍に輜重なければ則ち亡び、糧食なければ則ち亡ぶ」輜重(しちょう)、ようするに軍事品、それに食料の備えがなければ、すなわち滅ぶ。これぞまさしく、南方へ駆りだされた召集兵の姿だ。無残な死だ。英霊などという美辞など、さぞかし返上したいことだろう。安らかな眠りを願うのみ。
 

2010年08月13日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 182

 またあの八月十五日が巡ってきた。神国日本が無残に敗れた日。あの日は暑かった。もう一度、あの日のことを書いておく。私は旧満州のハルピン市に住む国民小学校の四年生だった。夏休みの最中だったが、正午から天皇陛下の放送、すなわち玉音放送があるというので、遊びにも行かずに待ち続けた。
 耳を澄まして拝聴したが、大波のような雑音がひどすぎ、言葉が途切れ途切れでまったく意味が伝わってこなかった。母が日本は戦争に負けたのだと言ったが、軍国日本の少年たる私は承服しかねた。中庭に出ると、鬨の声のような万歳という声が聞こえた。だがそれは万歳ではなく、中国語のワンスイ(万歳)だった。見回りをしていた責任感の強い警官が嬲り殺されたのだ。まだ、終戦の証書の放送が終わって何分とたっていなかった。爆竹が鳴り、銃声が轟き始め、通りという通りが現地人で埋められ、われわれ日本人の家は黒山の人だかりに取り囲まれ、早く出て行けと脅された。
 まんじりともしないうちに夜が開け、化学薬品会社に集結することになった。その途中、通りに繰り出した現地人に罵詈雑言を浴びせられた。ようやく人影の少ない木立の鬱蒼とした通りに出て一安心した途端に、四、五十人の男たちに襲われ持ち物をあらかた奪われた。辛うじて、化学薬品会社に逃げこんだものの、一息いれる間もなく、その会社が攻撃目標とされ、手榴弾が投げこまれ銃弾が打ち込まれはじめた。私たち全員に、日本人らしく死ぬよう青酸カリが与えられた。まだ、八月十六日の日暮れ前だった。玉音放送を境に、世の中は文字通り逆転した。ポツダム宣言を無条件で受託することによって、わが国は「国体ヲ護持シ得た」が、外地にあった日本人の運命は道端の石ころのごとく黙殺された。狂気の時代だった。
 
 

2010年08月06日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 181

 八月はさまざまな思いが交錯して辛い月だ。すくなくとも、戦争の悲惨さを体験した世代には。八月六日。八月九日。そして八月十五日。それらの中間のこの八月七日には、全国高校野球選手権大会が開幕される。戦後の野球ブームの中で少年として育った私には、甲子園全国大会はまさに平和の象徴そのものだった。
ところで、野球に話題を絞ると、なんとも奇妙な言葉が耳目に飛び込んでくる。“グローブ”。 グローブ捌きが見事? グラブ捌きが見事じゃないの? 野球で使う手袋状の代物は、グラブ。Glove。発音記号を見るとglav。その意味は、五本の指に分かれた手袋、守備能力、その他。動詞形は手袋をはめる、グラブで?むなど。まさにそのもの。グローブはglobe/ gloub/。名詞形は地球、地球儀、世界、天体、その他。動詞形は球状にする、あるいは球状になる。地球でボールをつかむの?

 野球がこれだけ普及していながら、なぜこんな国辱的(?)な誤用がまかり通るのか。野球の解説者やアナウンサーで、正しくグラブと使っている人たちもいるが、一割に満たないのではないだろうか。野球大国の和製英語なのだ。これで苦しゅうないという向きもあるだろうが、ここは一考を要するのではないだろうか。
 いろんな英和辞典に当たってみたら、gloveの項に御念の入った事に‘野球用のグローブ、拳闘用のグラブ’とあるのには一驚。どうもここらあたりに、誤用が大手を振ってまかり通っている原因がありそうだ。
辞書会社も関係者も、“あやまちてはあらたむるにはばかることなかれ”。小学校から英語を教えられ、習ってこの体たらくとは情けない。“かいより始めよ”、とも言う。
 全国から選ばれた球児の悔いない健闘を祈る。
 
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