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2007年06月08日(金曜日)更新
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ユーモアクラブのためになるユーモア講座 35
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先日、ネコに関するおもしろい諺や表現を紹介したので、今回はイヌにまつわるものを拾ってみた。「イヌも歩けば棒に当たる」は以前に取り上げたことがあるが、英語ではThe dog that trots about finds a bone.Finds a bone(骨)は、よいものに出くわすくらいの意味でしょう。
「生きていればいいこともある」英語では、Every dog has his day.直訳すると、どのイヌにも、意気盛んな、あるいは得意な時があるものだ。いささか、イヌが安く見られている感じがないでもない。
「金で面を張る」A dog will not whine if you strike him with a bone.原文の意味は、骨で叩けば、イヌは泣き声をあげない.これはなかなか説得力がある。
「悪評はたたる」Give a dog a bad name and hang him.悪い評判はついて回る。
諺ではないが、nervous as a dog shitting razorblades という表現がある。直訳すれば、剃刀の刃に座っているイヌのように神経が張りつめている。ひどく神経質だ、ひどく緊張しているという意味に使われるフレーズだが、イヌでなくてもそうなって当然だろう。go to the dogs その意味は、落ちぶれる。これは、イヌに失礼だ。ネコ同様、イヌもあまりよい役割を与えられていないようだ。
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2007年06月01日(金曜日)更新
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ユーモアクラブのためになるユーモア講座 34
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ある夫婦が大変長い結婚生活を続けてこられた秘訣を訊かれたら、“そんなの簡単だ”という答えが返ってきた。「向こうが話しているとき、こっちは耳を貸さないんだ」
「結婚はある種の冒険だ、戦場へ赴くのに似ている」
結婚生活を続けるためのある忠告。「われわれは別々に食事をし、別々に休暇を取る。われわれは絶対に顔を合わせない。われわれは結婚をまもるために、あらゆることを行っている」いま流行(?)の家庭内別居はこの類だろうか?
「私の夫と私はたいそう幸せな結婚生活をしていますのよ」ある女性は自慢した。「夫のために私がしないことなど何一つありませんし、夫が私のためにしないことも何一つありません。そんな風に私たちは生きているんです。要するに、お互いのために何もしないんです」
百回も別れを考えたことがあるという友人もいれば、結婚してから一度も喧嘩をしたことがないという、信じられないような友人もいる。ある先輩は口癖のように、男と女は別々の星で誕生し、たまたま地球で出会だけのことだから、理解しあえないのは当然だといっていた。
ある男性の話。若いとき、理想の女性が見つかるまで絶対結婚しないと心に決めた。ところで、理想の女性が見つかった。だが、悲しいかな、彼女は理想の男性の出現を待っていたんだ」
いずれにしろ、世の中思うようにいかないものだ。
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2007年05月25日(金曜日)更新
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ユーモアクラブのためになるユーモア講座 33
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アラブとイスラエルの抗争は百年一日のごとくほぼ毎日死者を出しているようだ。何とかならいのだろうか。それで思い出したわけではないが、化学の大学教授で、シオニスト機構の議長を務め、イスラエル建国に重要な働きをし、初代大統領になったハイム・ヴァイツマン(1874−1952)という人物がいた。その就任の祝いにアラブのある長老から立派な馬を贈られたが、彼は部下に命じてその馬を返させた。
「仰せですが、素晴らしい贈り物ではありませんか」副官が言うと、彼はこう答えたそうだ。「物を食う贈り物は、贈り物にあらず」(A gift that eats is not a gift)
これで思い出したのが幕末の英傑、勝海舟の似た話だ。彼もなにかの就任祝いに一頭の馬を贈られたが、金のかかる生き物など要らぬと即日返したと言う話が伝えられている。よく似た皮肉な話で面白い。欧米では子供が一定の歳になると、馬を与える習慣が広くいきわたっているようで、その馬をgift horseと言い、その言葉からlook agift horse in the mouth という表現が生まれた。その意味は、もらい物のあら捜しをする、人の親切にけちをつける。馬の歳は歯で分かるから。
a gift from the Gods は幸運。 a person of many gifts は多才の人。
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2007年05月18日(金曜日)更新
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ユーモアクラブのためのユーモア講座 32
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私は仕事柄ほとんど毎日英語の辞書を引くし、訊ねられれば辞書ははじめから終わりまでよく読むように勧める。英語の場合は、ひとつの単語でも意味がすこぶる多岐にわたる例が多く、こんなのありかと思う例にしばしば出会う。この間、たまたまネコ(cat),の項を読んでいたら、諺がいくつも出てきたのでご紹介する。皆さんの辞書にも、ご覧になれば似た例が出ているはずです。
ネコは九生。(A cat have nine lives )ネコでも王様を見られる。(A cat may look at a king ) 身分の低いものにも相応の権利はある、との意味だそうで、出典はマザーグース。このa catという主語は、単数でその全体を代表させる形式を取っているわけです。
心配は身の毒。(Care killed a cat)心労はネコの命すら縮める。好奇心もほどほどに。(Curiosity killed the cat)この場合は、catに定冠詞をつけて全体をさしている事例です。
鬼の居ぬ間に命の洗濯。最近では、こんな言葉は死語でしょうかね。ひょっとすると、若い人には意味がよく分からないかもしれない。だいいち、鬼のような恐ろしい存在などいないでしょうから。それはともかく、英語ではWhen the cat is away, the mice will play.ネコがいないと、ネズミが遊びまわる。漫画のトム・アンド・ジェリーでは、ネコとネズミがたいそう仲がよく楽しいが。
暗闇ではネコはすべて灰色。(All cats are grey in the dark )美貌など見かけだけのこと。いろいろ面白いことが記されていますから一読をお勧めします。いい勉強になります。念のため言い添えておきますが、私はネコ派でも犬派でもありません。
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2007年05月11日(金曜日)更新
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ユーモアクラブのためのユーモア講座 31
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沖縄にはじまったサクラ前線もようやく北海道一円にも達し、どうやら全国の皆様が芽出度くサクラを愛でられたようで、ご同慶の至りである。それにしても、サクラとなるとどうしてああまで大挙して押しかけて飲み食いし、盛大に騒がなければならないのかなんとも解せない。それで毎年、私は「徒然草」あのセリフを思い出す。第百三十七段。「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは・・・花の本には、ねじりより、立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌して、果ては、大きなる枝、心なく折り取りぬ・・・」
まるで、昨今の花見のテレビキャスターのセリフを聞いている思いがする。「徒然草」が記されたのは、およそ七百年前のことだから、わが日本人は飽きもせず同じ狂態を繰り返してきたようだ。江戸後期の職人の花見ともなると、「“隣の町に負けてはいけねい”とばかり、一月以上も前から仮装・趣向に浮身をやつして出かけた」(飯島友冶編。古典落語 正蔵・三木助集)というからこれはまた、一段とすさまじい。
その林家正蔵の噺に、「花見酒」がある。上野の花見客を当てこんで一儲けをたくらんだおめでたい二人組みが、四斗樽に酒を三升入れてもらい、そのうえ釣銭用に十銭玉を一つ酒屋から借りると、天秤棒で前後に担いで売りに出かける。二人で一杯ずつ飲むたびに、十銭玉をやり取りし、戻ってきたときは三升の酒は二人で飲み干し、売り上げの十銭玉が一つ残っていた。これで計算は合うのだろうか? こちらのほうが、愛嬌があるだけよしとすべきか?
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