ユーモアクラブの
ためになるユーモア講座

古今東西あまたの名言、格言、人生訓など「ユーモアの宝典」を連続紹介

 
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ダーク・ヒグマーノ
 (翻訳者 中山 善之)
1935年、北海道生まれ。

慶應義塾大学卒業。外資系メデァ日本支社勤務後、翻訳家に。乱読家で東西の本は勿論中国古典なども好む。
訳書としては世界中でベストセラーになっているクライブ・カッスラー著「ダーク・ピット」シリーズ全20巻(日本語版計32冊、新潮社文庫)。
ヤノフ著「原初からの叫び」(講談社)。ムーディ・jr著「かいまみた死後の世界」(評論社)など多数。
近頃は山奥での魚釣り、たまにはゴルフもするが一番は大酒のみ。

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2007年04月27日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 30

 四月も半ば近いある日、たまたま居合わせた北のある町では雪が二〇センチ以上も降り驚かされた。昼近く所用を終えて街中へ出た私は、道脇に並ぶまさしく満開のソメイヨシノかと見まがう豊かに咲き誇った雪の花の枝ぶりに思わず足を止めて見惚れた。薄紅色を欠いてはいるが、その分だけ純白な花は一段と清楚ですこぶる感動的だった。

 夜暇になったので、まだ降り続けている雪見をかねてゴム長靴を調達して一杯やりに出かけた。夜の雪景色がまたよかった。雪舟の「秋冬しゅうとう山水図さんすいず」や「四季しき山水図さんすいず屏風びょうぶ」の中に遊ぶ心地がしたと言ったら、大げさすぎるとお叱りを受けるかもしれないが、ともかく至福の時だった。花見と雪見を同時に出来ることなど、そう在るものではない。春とはまだ名ばかりの北国での、言わば“春宵しゅんしょう一刻値いっこくあたい千金せんきん”だった。春の淡雪とはよく言ったもので、翌日の午後にはソメイヨシノも雪舟の山水も、跡形もなかった。ご当地の桜(山桜)が咲くのは、五月も半ば過ぎだそうだ。

 “心地上無風濤、隋在皆青山緑樹”(心地しんちの上に風濤ふうとうなければ、るにしたがいてみな青山せいざんりょくじゅなり)心の上に波風がなければ、いたるところみな青い山に緑の木が茂っているようにうつくしく見える。(菜根譚)

 “花撲玉缸春香”(花は玉缸ぎょつこうってしゅんしゅかんばし)散る花は、宴席の玉作りのさけかめの中に舞い降りて、春の酒は一段とかぐわしい。(唐詩選)
 

2007年04月19日(木曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 29

 “食うときに食わないもので、食わないときに食うものは何だ”古今亭志ん生の演目の「疝気の虫」に出てくる一節ですが、本題に入るまでの話の振り方が絶妙だし、よほど勉強をしていたようだ。答えは釣師の弁当だそうで、魚が食うときに、弁当どころじゃない。昔はどこへ行っても小さな池とか沼があって、親子でのんびり魚釣りなど出来たものだが、最近は全国的にそうした場所がめっきり見当たらなくなった。
 
 深川の八幡様といえば全国的にもよく知られている名所といってよいかと思うが、あそこへいく裏手にはコンクリートに埋められてしまった小さな川が何本かあって、赤い木造の太鼓橋まで架かっている。かつて河川の汚染がすこぶるひどかった時代に、みんな埋め立てられてしまったのだ。その名残だ。それにしても、コンクリートの小川に架けられた橋を渡るときにはなんとも不思議な気がした。下町の人が昔を惜しんでのことか、はたまた東京都のやり方に対する地元の皮肉なのか。
 
 あのあたりは広大な埋立地なので、志ん生の自伝にも新開地の住まいの前には蚊柱が立っていて、ただ今などというとたちまち口の中に蚊が何匹も飛び込んだと書いてある。蚊柱といえば、私も昔よく行った山中の川で高さが二メートルほどもある蚊柱に襲われて閉口し、それ以来、魚釣りには携帯用の蚊取線香を持っていくようになった。しかし、その川に発電所が出来たとたんに蚊はすっかり姿を消し、魚もまるで釣れなくなってしまった。蚊柱に手を焼きながら魚を釣りたくても、もう二度とその夢はかなわない。
 

2007年04月13日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 28

 つい最近、新聞紙上に“ライフ廃刊”という記事が載っていたことに気づいた方もかなりいるのではないだろうか。写真雑誌としては、文句なしに世界一だった。とりわけ、テレビがまだ十分に普及していなかった時代には、とくにそう言えたようだ。そのライフ誌に、ただ一度だけ日本語版が登場したことがあるのだが、一九六九年のことだから若い人たちはほとんど知らないだろう。もう三八年たったのですか。宇宙船アポロ11号が月面に着陸、人類がはじめて月面に立ったのを記念した臨時増刊号が発売され、俗称タイムライフ社(当時タイムは週刊ニュース雑誌のタイム)の日本支社にいた私がたまたま日本語版を訳したものですから、廃刊の記事には感慨深いものがある。三日ほど、ひどく忙しい思いをさせられたものです。即日完売でした。いま見ても、月面やオルドリン宇宙飛行士が月面着陸船から月面へ下りようとしている写真などが見事に再現されている。あのころでしょう、ライフの最盛期は。

 過日アメリカのドキュメンタリー番組を見ていたら、月面着陸(moon landing)はでっち上げだという番組をまたやっていました。月面に立てられた星条旗がゆれていた、というのがその根拠の一つに確か挙げられていた。改めて写真とキャプションで確かめたところあの旗は垂れ下がらないように、上に針金が通してあり、揺れているように見えるのは皺ですね。

 疑問を持つことは知識を身につける第一歩として大いに奨励されるべきだろうが、疑っているばかりでは夢がなくて淋しい気もする。その一方、“好奇心が正規の教育を生き延びるのはある種の奇跡である”アインシュタイン。(It is a miracle that curiosity survives formal  education) これも困りものですね。
 

2007年04月06日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 27

 最近は自己主張の強い時代なので、“沈黙は金、雄弁は銀”(Speech is silver、silence is golden)は流行らないだろうが、“愚か者でも、黙っていれば、知恵あるものと思われ、その唇を閉じていれば、悟りのあるものと思われる”(Even anyone foolish, when keeping silent, will be regarded as wise ; anyone closing up his own lips ,as having understanding)という教えもある。

明日のことを誇るな、一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないからだ”(Do not make your boast about the next day, for you do not know what a day will give birth to)
愚かな者は英知をよろこばない。ただ自分の意見だけを表す”(Anyone stupid finds no delight in discernment, except that his heart should uncover itself)

鉄は鉄によって研がれ、人はその友によって研がれる”(By iron, iron itself is sharpened. So one man sharpens the face of another)
顔が水に映る顔と同じように、人の心はその人に映る”(As in water face corresponds with face, so the heart of a man with that of a man )

 最初の一例を除いて、どの箴言も聖書からとったものだが、われわれ日本人はなんとなく、“徒然草”や“枕草子”などの言葉が連想され、文化の独立起源説に対して伝播説をとりたくなるような思いに駆られる。固定観念にとらわれぬ伝播説の裏づけとなりそうな面白い事例はすこぶる多いので、また別の機会に。
 

2007年03月30日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためのためになるユーモア講座 26

 日本列島ももうすぐ四月。南の地方では水もぬるみはじめ、川魚たちもうごめき始めるのではないだろうか。「水清く、魚棲まず」よく聞く言葉だが、川のひどい汚染ぶりや破壊をしばしば目にしている私は、「水清く、魚棲む」と声を大にしていいたい。もっとも、原典の意味するところは、ご承知の通りいささか別のところにある。「水至清則無魚、人至察則無徒」(水いたって清ければすなわちうおなく、ひと至ってさつなればすなわちなし)この場合のひととは、上に立つ人物とか為政者ぐらいの意味に取っていいでしょう。さつはあまりにも明察であること。すると、すなわち人材は集まらない。これは人使いの要諦の一つか。
 「水濁則無掉尾之魚」(水にごればすなわち尾をふるうのうおなし)水が濁っていると、尾を振って楽しみ泳ぐ魚がいない。まさにわが意を得たりだが、元来の意味は、苛斂誅求かれんちゅうきゅうの政治の許では、美しい人、美しい国など出来ないということか。
水寛魚大」水ひろければ魚だいなり。水が深ければ大きな魚が棲む。文字通り、この通りだ。「可愛い子には旅をさせろ」も同類か。広い世間を見て、立派な人間になってくれという願いだろう。そうして、「呑舟之魚」になるように。

 あのアインシュタインの言葉がある。「Try not to be a man of success, but rather a man of value」成功者となるために励むなかれ、価値ある人間になるために励め。特にこの言葉は今年、進学や入社した若い人たちに送りたい。
Everyone thinks of changing the world, but no one thinks of changing himself」 これは文豪トルストイの言葉。誰もが世界の改革を考えるが、自分の改革を考えない。さすが、言うことが違う。
 
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