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2007年01月12日(金曜日)更新
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ユーモアクラブのためになるユーモア講座 (15)
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“例えば最良の年などということを言うのはひどく不景気なことのように思はれる。もしも或る人間にとって或る年が最良ならばそれまでの年もその後もその年に及ばないことになって・・・生きている意味もまずないのに近くなる。それと同じことが酒に就いても言えるので、酒はいつでも今がいちばん旨いと思って飲むのでなければ嘘である”(「私の食物誌」より)酒仙とも人生の名人とも言える吉田健一氏の説だけあって、たいそう含蓄に富んでいる。またまた酒の話になって恐縮ながら、どうせ飲むのなら旨い酒を飲んで過ごしたいものだ。それには、心にわだかまりがなく、自然体であることが必要のようだ。人生を明るく楽しく暮らす要諦も、またしかりか。
“酒に真実あり”(In wine ,there is truth)という諺もあるが、どこまで解釈を広げていいのか、真意を汲み取るのはなかなか難しい。
新年にちなんで、“宝船日本からも一人乗り”恵比寿様は日本の神様。“一文凧は駆けているうちばかり”光景がまざまざと目に映る。そういえば、最近では親子で凧揚げをしている光景には、とんとお目にかかれなくなった。一文凧とはごく安い凧なので、思うように上がってくれない。もう一つ。“元旦はまだこわいから戸を明けず” 江戸時代の大晦日の掛取り騒ぎが一段落したあくる日の、気弱な江戸っ子の複雑な心境か。まだ世の中に潤いというか、情緒があっていい。
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2006年12月28日(木曜日)更新
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ユーモアクラブのためのユーモア講座 14
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前回登場願ったベンジャミン・フランクリンは、ご承知の通り偉大な政治家であり、科学者であり、文筆家でもあった。独立宣言の起草には大きな働きをしたし、アメリカ合衆国の独立をイギリスに承認させる(1783年)実績を挙げている。彼は死を目前にした84歳の時、こう書き残している。“長生きをして、人生のカップの底まで飲みつくすつもりでいる者は、何がしかの滓を飲む覚悟がいる”もう一つ、“この世では、税金と死ばかりは避けられない”(Nothing is certain but death and taxes)もフランクリンの名言。
“死は万人を平等にする”(Death is the great leveler)。それに、“死神は暦を持たない”(Death keeps no calendar )。すなわち、無常の風は時を選ばず。ついでに、“死人に口なし”(Dead men tell no tales)。ただし、死して名を留む、方もおられる。
イギリスの小説家兼文明批評家で、「タイムマシーン」、「世界史大系」などで知られるハーバード・ジョージ・ウエルズ(1866-1946)は、死の床にある彼の最後の言葉をうるさく聞き出そうと取り囲んでいる友人知人たちにひどく苛立って、声を振り絞って言ったと伝えられている。“君らは分からんのか、私が死ぬ準備に忙殺されているのが”(Can’t you see I'm busy dying?)
終わりは誰にも、何ものにも訪れる。人生は夢の如し、か。何はともあれ、今年も終わりですね。皆さん、お元気で。
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2006年12月22日(金曜日)更新
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ユーモアクラブのためのユーモア講座 (13)
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“結婚前は両目を大きく見開いていろ。結婚後は半眼にしたまえ”これはベンジャミン・フランクリンの名言!? (Keep your eyes wide open before marriage, half shut afterward)雷の轟く日に危険を無視して凧を揚げている彼の挿絵を見た人は多いのではないだろうか。彼は雷と電気が同一物であることを証明し、避雷針によって建物が落雷から守られることを示唆した。彼が編んだ“貧しいリチャードの暦”(Poor Richard's Almanac)は金言を散りばめた暦で、わが国でも親しまれている。1706年生まれで、90年に没している。
両目を見開かずに、“結婚は天が定めるもの”(Marriage are made in heaven)縁は異なもの、と太平楽を決めこんでいると、“結婚はくじ引きだ”(Marriage is a lottery)などと臍を噛むことになりかねない。自分の臍は噛もうとしても届かないことから、転じて、後悔しても遅すぎるの意。出典は左伝。もっとも、大当たり方ももいらっしゃるでしょうが。
ギリシャのかの有名な哲学者ソクラテスが大変な恐妻家であったことは有名で、彼の悪妻クッサンティッペ(Xanthippe)の名は、ごくありふれた英語の辞書にも登場している。惨めな家庭生活が、彼を優れた哲学者にしたといわれている。わが国でも、悪妻ゆえに大作家になったといわれる文学者が何人かいらっしゃる。“結婚は不幸の始まり”と一概に決めつけられないようだ。大喧嘩の末、ドアから出て行くソクラテスの背中に、バケツの水が投げつけられた。そのとき、ソクラテス慌てず騒がず、こう言ってのけた。“雷のあとには、雨が降るものだ”(After the thunder comes the rain)さすがに、練れている。
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2006年12月15日(金曜日)更新
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ユーモアクラブのためになるユーモア講座(12)
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億万長者がたくさん誕生するというので、歳末ジャンボ宝くじがかなり話題のようです。そこで有名な川柳を一句。「一の富どこかの者が取りは取り」まあしかし、「幸運は誰の門であれ、少なくとも一度は叩く」とか。Fortune knocks at least once every man’s gate.一の富とはいかないまでも、三等ぐらいでも当たれば親孝行のほんの真似事でもできるのだが、そんなことを思う年頃には親は無し。例え生きていたとしても「あらためて孝行するも不幸なり、大事の親の肝や潰さん」などということになりかねない。やりつけないことや、持ちつけない金には疎遠であるほうか無難かもしれない。落語の「二十四孝」では、母親といっても継母が鯉を食したいと言い出したが、貧乏で金がない。そこで、息子の王祥は冬の最中に裸になって氷の上に横たわった。体温で氷を溶かして、鯉を捕まえるつもりなのだ。やがて小さい穴が生じ、そこから鯉が二匹飛び出したので親孝行ができた。面白い話だがどうもいささか無謀で、後日、王祥さんはインフルエンザにでも掛かったのではないか、と要らざる心配をしたくなる。
もっとも、直接関係はないが、こんな名言もあるにはある。「運命の女神は勇者に味方する」(Fortune favours the bold)日本流に訳すと、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」受ける感じがずいぶん違う。引き合いに出すのが憚れるが、「運命の女神は盲目だ」という畏れ多い言葉もある。(Fortune is blind)
最後に時節にあった一句。「おそろしきものの喰いたき雪の空」今日、毒にあたる心配はないが、河豚のほうが出世しすぎて、親しくお付き合い願えないのはなんとも残念。
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2006年12月08日(金曜日)更新
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ユーモアクラブのためになるユーモア講座(11)
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先日、仕事を兼ねた二泊三日の旅に出た折に、たまたま暇ができたので携えていった「イソップ物語」を久しぶりに拾い読みして驚きました。“ウサギと亀”や“オオカミ少年”の話は、中年以上の方は親などに読み聞かされたりして、よく知っておられるでしょう。長年のうちに、絵本で見た記憶が強く残り、なんとなく日本古来の話という思い込みに駆られてイソップ(AESOP)の作であることを、私はほとんど忘れていた。ほかでもない、そのことに驚いたのです。知らない方のために、念のため。“ウサギと亀”はどちらが早いか競争をした結果、亀が先にゴールする。動物寓話集らしく、この話の教訓―― 生まれつきの才能に恵まれた者も琢磨しなければ、勤勉な努力家に劣る結果になる。
“オオカミ少年”再三、オオカミが来たと叫びたてて村人たちを脅かしていた羊飼いの少年が、こんどこそ本当にオオカミの群れが襲ってきたので村人に助けを求めたが、いつもの嘘だと誰にも相手にされず、羊たちがオオカミの犠牲になってしまった。こちらの教訓は、説明するまでもないでしょう。
もうひとつ。“困ったときの友こそ真の友”純国産の諺と思いがちですが、こちらも出典はイソップ様。二人ずれの男が歩いていると、不意に熊が現れた。一人は木に登って難を逃れた。もう一人はその余裕もなく、息を止めて路上で死んだふりをした。熊が立ち去ると、木から降りてきた連れが訊いた。熊が君の耳元に何かささやいていたようだが。すると、連れはこう告げた。“熊はこう言ったのさ。危機に陥っているのに力を貸してくれない友達とは今後行動を共にするな、って”英語では、A friend in need is a friend indeed.
蛇足;イソップは紀元前620−560頃の人。ギリシャ名はアイソポス。最初の翻訳本、「伊曽保物語」は1593年、安土桃山時代の文禄二年に刊行されている。
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