ユーモアクラブの
ためになるユーモア講座

古今東西あまたの名言、格言、人生訓など「ユーモアの宝典」を連続紹介

 
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ダーク・ヒグマーノ
 (翻訳者 中山 善之)
1935年、北海道生まれ。

慶應義塾大学卒業。外資系メデァ日本支社勤務後、翻訳家に。乱読家で東西の本は勿論中国古典なども好む。
訳書としては世界中でベストセラーになっているクライブ・カッスラー著「ダーク・ピット」シリーズ全20巻(日本語版計32冊、新潮社文庫)。
ヤノフ著「原初からの叫び」(講談社)。ムーディ・jr著「かいまみた死後の世界」(評論社)など多数。
近頃は山奥での魚釣り、たまにはゴルフもするが一番は大酒のみ。

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2010年06月18日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 175

 この十三日の、小惑星探査機「はやぶさ」の地球への帰還ニュースにはなんとも心を洗われた。健気けなげ。奥床しさ。いじらしさ。いろんな言葉が連想された。
 健気―勇ましいさま、甲斐甲斐しさ、あるいは働きが賞賛に値する。
 または殊勝。殊勝とは、ことに優れている、神妙であること。
 それに、散り際の美しさ。さまざまな苦労を乗り越えて、闇の宇宙空間をただ一人、およそ六十億キロを航行し世界初の数々の成果をあげながら、最後に自らは大気圏内で美しい光りのシャワーとなって散った。 まさに美学の極致。なんたる奥床しさ。
 広辞苑によると、深い心づかいがあってひきつけられる、ともある。まさにそれだ。さらには、なんともいじらしい―可憐である、あるいはいたわしい。不憫である、たいせつに思う。
 関係各位には深い敬意をこめて拍手を送る。この素晴らしい成果に刺激されて、若い諸君には科学に対する興味をぜひ深めてもらいたいものだ。
 帰還したカプセルに小惑星「イトカワ」の砂が回収されていて、地球生成時の手掛りが得られることを期待している。
 おかげで、鬱陶しい梅雨模様だが、久しぶりで気持ちが晴れ晴れとした。

 しぶしぶ、足許に目を転ずると、国民の圧倒的多数の支持を得て成立した鳩山内閣が百日も経たぬうちに、事実上、幣履のごとく投げ出され、我利我欲に凝り固まったようなご面相の先生たちが相変わらず国会を闊歩している。
・・・小人は利を同じくするを以って朋を為す」―小人は利益を同じくする者を集めて朋党、すなわち徒党を作る。
 二大政党の夢早破れて、小党乱立の気配あり。強力だが暴走しかねないリーダーより、こちらの方がまだましか。
どんなに長い夜であろうと、いつかきっと明ける」(The night is long that never finds the day)シェクスピア「マクベス」。
 

2010年06月04日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 174

 どうも日米安全保障条約は日本政府には鬼門の感がある。安保反対の未曾有のデモで国中が荒れ、岸内閣が総辞職したのは1960年だった。あれから五十年、いまや安保条約はあって当然のごとく腰をすっかり落ち着けてしまい、基地問題を巡って今度は鳩山内閣が退陣。しかし今回不可解なのは、懸案の基地の沖縄県外ないしは国外移転という策を推進しようとした首相に対し、オバマ大統領の希望に沿う線で早く結論を出せと、不思議なことに日本中のジャーナリズムが批判して退陣に追い込んだことである。まるで領主様の仰ることは黙って聞けといわんばかりの論調には恐れ入った。いつから、日本人はこのような寂しい人間に成り下がったのか。もっとも、自衛権の問題に頬被りをし、安保条約に寄りかかっていることの是非を極めないところに問題の根源があるのだから、この問題は今後も長く尾を引き続けるだろう。

 以下、自戒をこめて、
らんの生ずる所は、すなわち言語以ってかいをなす」(乱れの大本は言葉に発する)階は物事が生じる糸口。
「多言なれば数々しばしば窮す」 
「多事なること無かれ、多事なればかん多し」(多弁を弄すると、過ちを犯すことが多い)
「時においげんを言い、時に于いてを語る」(言はふだんの話。語は問答。言葉はその場ごとに正しく使うもの)
「其の言をやすくするは、責めなきのみ」(軽々しい物言いは、その言葉に対するする責任の欠如)
 

2010年05月28日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 173

 「・・・は今日も雨だった」という詠嘆口調の流行歌はやりうたがあったような気がするが、どうも最近は全国的に似た状況らしい。雨に言わせると、降れば嫌われ、降らないと降ってくれと請い乞われるが、頃合いを計ろうにもいろいろな条件に左右されるのだから、こちらばかりに当たらないでくれと愚痴の一つもこぼしたいところだろうと推察される。
 
 「雨の降る日は天気が悪い」という諺がある。当たり前のことを強調するときに引用するそうだが、これほど分かりいい諺は稀だ。思わず笑ってしまう。「雨晴れて傘忘れる」私など、これはよくあること。アルコール類が入っていれば、ほぼ毎度のこと。反省します。最近は、ごく安価な傘が手近な場所で売られているので助かる。そういえば、「雨が降ろうが槍が降ろうが」と意気込む向きをたまに飲み屋辺りで見かけるが、同士は海の向こうにもいるらしく、英語ではCome rain or come shine。
これは直訳するなら、‘降っても晴れても’となるから、むしろ晴雨決行に近い。凄みのある槍という言葉を持ってきたのは、‘どなたの好み’だろう。
「七時前に降れば十一時には晴れる」(Rain before seven、fine before eleven)出かける予定のある人には嬉しい諺。いずれよくなるさ。人生もそう有りたい。

 これは旱魃に悩むある農村地帯での話し。雨乞いに村の衆が集まると、坊様が話しかけた。「みんなここへ雨乞いに来たのだな。本気であらたかな霊験を信じているのだろうね」。「むろんです」と村の衆。
 すると坊様が、「結構。では一つお訊ねする」みんなは怪訝な面持ちで黙りこみ立っていた。坊様は一声張りあげた。「みんなの傘は何処にあるのだね?」
 

2010年05月21日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 172

 たまには映画を見るのもいいものだ。今様にはB級映画というのだろうか、ありきたりな西部劇を見ていたら、なかなか気にきたセリフが耳に止まった。「復讐は血が冷えてから」これはなかなかの知恵だ。少なくとも考え方が冷静だ。それに、「酒は死に優る」これはどう解釈するのが正しいのだろう。議論百出、必死か。

 酒で思い出したが、月中にやっと花見をした。まだ涼しすぎるので、料理屋の屋内から五分咲きの桜を遠目に愛でながら、まさに「花は半開を、酒は微薫に飲む」の心境ながら、「両人対酌すれば山花開く、一盃いっぱい一盃た一盃」兼好法師気取りでいたのが、いささか深酒。そしていつもの反省。

 ところで、さすがは聖書などと言うと信者の方からお叱りを受けるかもしれないが、箴言の中には、「怒りを遅くするものは勇士に優り、自分の心を治める者は町を攻め取るものに優る」とある。(He that is slow to anger is better than a mighty
man and he that is controlling his spirit than the one capturing a city)

 さらに、こういう痛言もある。「ぶどう酒は、嘲りのもと。強い酒を飲むものは騒々しい。酒に惑わされるものは、みな知恵に欠ける」(Wine is a ridiculer, intoxicating liquor is boisterous, and everyone going astray by it is not wise) ただし、酒にgo astrayしたもの、すなわち酒におぼれ者は自戒しろの意で、キリスト様もワインを奨めているので世の愛飲家よご安心あれ。かくして、待望の春は瞬時にしてはや過ぎ去りぬ。
 

2010年05月07日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 171

 5月。皐月。五月晴れ。五月の快晴のことかと思いきや、梅雨の晴れ間の意味もあり。本来陰暦5月を指す言葉だから、一ヶ月以上の時差があるので止む終えぬところ。したがって、皐月雨はさみだれ、皐月山はさみだれのころの山を表す。そこで、例の「五月雨をあつめて早し最上川」あるいは「五月雨を集めて涼し最上川」(芭蕉)となる。

 英語ではMay。別に、人生の盛り、青春の意味あり。Youth とほぼ同じ意味。同名の「Youth」(青春)といえば、イギリスの作家ジョウゼフ・コンラッド(1857-1924)の代表作の一つ。「Youth is a stuff will not endure」青春とは長持ちしない代物。シェクスピア。「Youth will be served」という諺もある。若いときはとかく親切にされるもの。しかし、いつまでも若いわけではないのだからご用心。
「We aren’t getting any younger」若返ることは不可能。歳は取る定め。

 高齢の友人たちが食事をしながら、片方が時間を逆転して人生をやり直せたら愉快だろうなと切り出した。それに応じて相棒曰く、「おれは十八になりたいな。ただし、現に身についている知識と共に」
 すると卓上に料理を並べていた店の若い女性が訊いた。「私は十八歳なの。それがどんなものかお分かりですか?」
 
 所詮、ない物ねだり。「盛年重ねてきたらず、一日いちじつ再び明日なりがたし」若い盛んなころは二度と来ない。一日のうちに、朝は二度とやってこない。さらに、「時に及んで勉励すべし」と続く。
 
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