ユーモアクラブの
ためになるユーモア講座

古今東西あまたの名言、格言、人生訓など「ユーモアの宝典」を連続紹介

 
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ダーク・ヒグマーノ
 (翻訳者 中山 善之)
1935年、北海道生まれ。

慶應義塾大学卒業。外資系メデァ日本支社勤務後、翻訳家に。乱読家で東西の本は勿論中国古典なども好む。
訳書としては世界中でベストセラーになっているクライブ・カッスラー著「ダーク・ピット」シリーズ全20巻(日本語版計32冊、新潮社文庫)。
ヤノフ著「原初からの叫び」(講談社)。ムーディ・jr著「かいまみた死後の世界」(評論社)など多数。
近頃は山奥での魚釣り、たまにはゴルフもするが一番は大酒のみ。

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2010年03月19日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 165

“つれづれなるままに・・・”ではないが、手許にある「ギリシア・ローマ名言集」(柳沼重剛編 岩波文庫)をまた拾い読みしたところ、昔の人といっても紀元前の諸氏だが、実に人間観察に優れていることに改めて感服した。
“人間には舌は一枚しかないが、耳は二つある”(プルタルコス)さてその心は? “人生は短く、技術は長い” “真理の言葉は単純である” いずれも諺。
“飲め、遊べ。人は死ぬもの。地上ですごす時の間は僅か。死んだが最後、死は不死ときている”(アンピス)彼は前四世紀の喜劇詩人だそうだが、“死は不死ときている”とはすこぶる皮肉で実におもしろい。
“酒に真実あり” “飲む理由はたくさんある”こちらも諺。

 わが敬愛するキケロ先生も顔を出している。“習慣によって、言わば第二の天性が作られる”学のある人のために。(consuetudine quasi alteram quondam naturam effici)
 “額、目、顔つきなどもよく偽るが、何と言ってもいちばんよく偽るのは言葉だ”(frons,oculi,vultus persaepe mentiuntur: orratio vero saepissime)

 弥生三月にちなんで。“雛立て今日ぞ娘の亭主顔”硯角
鯉はねて浅き盥や春の水”子規。伊藤左千夫が‘君は病に籠りて世の春を知らず,故に今鯉を水に放ちて春水四沢に満つる様をみせしむるなりと’鯉を三匹恵贈されての句のうちの一つ。
 光陰矢のごとし。歳月人を待たず(Time and tide wait for no man )
 

2010年03月12日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 164

 若い頃、永井荷風の全集を買って「断腸亭日乗」を呼んだことを思い出し、先日、「荷風さんの戦後」(半藤一利著、ちくま文庫)を、「日乗」を思い出しながら楽しく読んだ。それが記憶に残っていったせいか、本屋で「百鬼園戦後日記」が目に止まり求めた。内田百間が戦災で焼け出され、三畳一間の小屋で暮らしていた敗戦直後からの暮らしぶりが、淡々とした筆致で活写されていて、こっちは同じく貧乏暮らしをしていた小学校時代を思い出しながら数日で読み通した。
 当時の百間先生は五十過ぎで文名も上がり、高利貸しに追い回されて、教授職を棒にふり、「砂利場の奥の、どぶ川のほとりに、・・・高等下宿を見つけて、その一室に閉じ籠り、三四年の間、世間との交渉をたっていた・・・」(砂利場の大将)当時とは異なり名文を物するのに忙しかったが、戦後の物のない時代だからインフレでいくら稼いでも出費に追いつかない。

 昭和の二十二年にもなると、用紙が値上がりする一方で、本の定価も三十円台から五十円台に高くなるのは良いが、採算割れの出版社に印税を七パーセントに負けてくれと泣きつかれ、かりに一万部刷っても入ってくる金はたかが知れている。しかも分割払い。ところが、百間先生すこぶる愛する酒は、八方手を尽くしてありついても一升八百円もするし、現金払い。勢い先生は、むかし取った杵柄で、“錬金”に、要するに金策に励む。日ごとに丹念に印されている飲んだ酒やビールの量を読んでいると、酒をこよなく愛していたことがよく分かる。酒にありつけない日は、無飲と記されている。その二語に、酒にありつけなかった無念さが滲み出ていて、酒飲みの惻隠の情を誘う。
 

2010年03月05日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 163

 弥生、三月。 とくると、つい“春はあけぼの、やうやうしろくなり行く、山ぎは少しあかりて、むらさきだちたる雲の細くたなびきたる”などと思い出す。
“三月三日は、うらうらとのどかに照りたる。桃の花いまさきはじむる。・・・”
“おもしろくさきたる桜をながく折りて、おほきなる瓶にさしたるこそおかしけれ・・・”(枕草子)

 まあしかし、清少納言が詠っている三月は陰暦、いまの四月上旬にあたるから、現在の桜の時期とほぼ合致するのではないだろうか。北国にではまだかなり遠い先の話で、それだけに本格的な春の到来が待たれる。“雛の日に、牡丹雪降る北の国”この名吟の作者はいわぬが花。

 ここはやはり、定番に登場願おう。“春宵一刻直千金 花有清香月有陰 歌管楼台人寂寂 鞦韆院落夜沈沈”―蘇東坡 春夜詩。「春の宵の一刻は値千金。花は清く香り月には一群れの雲。歌管楼台の声は静まりかえり。院落(中庭)の鞦韆(ブランコ)の周りにいた官女たちも姿を消し夜は静かにふける」

 “広陵三月花正開。花裏逢君酔一廻”「広陵の三月、花も開いている。その花の許で君にあったのだから、心いくまで酒に酔おう」
書を読む三径の草。酒を沽う一籬の花”(小さな庭に生えた春草に向かって本を読み、酒を買ってきて垣根のわずかな花を楽しんでいる)

 北国では春はまだ遠い。
 

2010年02月26日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 162

 連日連夜、オリンピック関連の報道花盛りだが、どうもミスリーディングな情報が多すぎるような気がする。mislead。動詞。誤りに導く。人を惑わす。誤解を招く。人を悪事に誘いこむ。名詞形がmisleading。確かオリンピックが始まる前のわが国での予測では、金銀銅のメダル総数は十個を凌ぎかねないほど景気がよかったはずだ。一方外国の予想では、金メダルゼロで、後二、三個。メダルの捕らぬ狸の皮算用、なにも目くじらを立てるには及ばないが、なぜ予測が、毎回の事ながら、こうも大幅に外れるのか。マスコミの取材能力は相当に優れているはずだが。メダル数に、勝敗に拘泥しすぎるせいなのか。唐突だが、勝海舟なら、“島国根性、島国だからだろう”といいそうだ。要するに、自己中(?)過ぎて、データを正しく読む目が失われているのではないか。

 かつてわが国は日露戦争勝利後に、ミスリーディングではなくミスインフォーメーション(misinformation、誤報)でもなく、ディスインフォーメーション、disinformation、すなわち意図的に偽情報を流して国を過った。戦争のために国家財政が疲弊しきっているのにそれを糊塗し、それを知らぬ国民は戦勝気分に酔い痴れて、官民一体で軍国主義へと狂奔を続けた。スポーツの祭典に勝者敗者という言葉を用いること自体間違いだろう。Disinformation関連では、アメリカで目下行なわれているトヨタのリコール聴聞会が思い出される。車は安全でなくてはならないという主宰者の言い分は至極もっともでまったく反論の余地はない。しかし、disinformationが入り込む恐れがないではない。非米活動委員会の公聴会では、水爆開発に反対したオッペンハイマー博士やかのチャップリンが、公職や国外追放を受けた事例もある。魔女裁判に堕ちないことを願う。
 

2010年02月12日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 161

 近年、世の中は暇を持て余している聖人君子だらけなのか、人様の一挙手一投足まであげつらい、あまつさえ、いとも心軽やかに断罪なさる紳士淑女のご高説に触れ、なおかつ晴れやかなお顔にお目にかかる機会が多い。有り難き時代ではある。

 ただし、“げんは風波なり、行いは実喪じつそうなり”。風が波を引き起すように、人が物を言うと世間に問題を起す。それがもたらす結果は、もう取り返しがつかない。実喪は、落ちてしまった果物の喩えで、如何ともしがたいの意。(荘子、人間世)

軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし、知恵ある人の舌は人を癒す”(There exists the one speaking thoughtlessly as with the stabs of a sword, but the tongue of the wise ones is a healing)

また、“真実の唇はいつまでもゆるぎなく確立される。偽りの舌は瞬きの間だけ”(It is the lip of truth that will be firmly established forever, but the tongue of falsehood will be only as long as a moment)とも言われている。

 お節介ながら、“柔らかな答えは憤りを静める。しかし痛めつける言葉は怒りを引き起こす”(An answer, when mild , turns away rage, but a word causing pain makes anger to come up)出典はいいずれも、聖書の箴言。

 世の中には、善悪ともども見本となる教訓が転がっている。どれを手引きとするか。それがまさに問題だ。“聖人の言、終身これれをしょうして可なり”(李文靖)
 
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