ユーモアクラブの
ためになるユーモア講座

古今東西あまたの名言、格言、人生訓など「ユーモアの宝典」を連続紹介

 
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ダーク・ヒグマーノ
 (翻訳者 中山 善之)
1935年、北海道生まれ。

慶應義塾大学卒業。外資系メデァ日本支社勤務後、翻訳家に。乱読家で東西の本は勿論中国古典なども好む。
訳書としては世界中でベストセラーになっているクライブ・カッスラー著「ダーク・ピット」シリーズ全20巻(日本語版計32冊、新潮社文庫)。
ヤノフ著「原初からの叫び」(講談社)。ムーディ・jr著「かいまみた死後の世界」(評論社)など多数。
近頃は山奥での魚釣り、たまにはゴルフもするが一番は大酒のみ。

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2010年02月05日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 160

 二月。きさらぎ。如月。衣更着。いまなお寒く、さらに着重ねる、の意。まさにいい得て妙。今日は立春、二月三日。暦のうえでは春。“少し春ある心地こそすれ” (枕草子)。
 今月の言葉は、“大山鳴動してネズミ一匹”。あるいは、“疑わしきは罰せず”か。何事につけても、たいそうやかまびすしい世の中なれど、その実態は空理空論の横行。”“惻隠の心は仁の端なり”。“惻隠の心なきは人にあらず”。

 いまだ、南国を除いては、梅にも時期尚早だが。花の咲く春を待ちわびながら。“尽日春を尋ねて春を見ず。・・・帰来たまたま花の下を過ぐれば、春は枝頭しとうに在ってすでに十分”。春の景色を一日中探し歩いて虚しく家に帰り梅の花の下を通ると、そこには春の気配が横溢していた。(探春詩、戴益)

今年こんねんの花は去年の良きに似たり。去年の人は今年に到りて老ゆ。始めて知る、人は老いて花にしかざるを。惜しむべし、落花君掃うことなかれ”(岑参しんじん

今年花落ちて顔色改まり、明年花開くも復た誰か在る”(劉廷芝)来年もまた花は咲くだろうが、その花を愛でられるか分からない。
 以前にも引用させてもらったが、やはり再登場してもらおう。“花ひらいて風雨多し。人生は別離につ”

 つい先日、所用でまた片道二時間あまりの汽車の旅をしてきたが、行きも帰りも吹雪に見舞われ、白一色の中を走り抜けてきた。車窓から見た遠目には、春の気配はまだ感じ取れなかった。“しら梅や誰がむかしより垣の外”(蕪村)
 

2010年01月29日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 159

 先日、実に久しぶりに国会中継を拝見かつ拝聴した。参議院の予算委員会ということなので、当然、われわれ国民にとって重大な予算の審議を真摯に行なっているものとばかり思っていたが、これがとんだ思い違い。予算案はそっちのけで、首相が母親から提供されていた金を巡る問題を、未だに、しかも場違いな委員会で、野党の代表質問者たちがまるで検事気取りで得々と追及していた。それが、答弁の“言葉尻を捉え”て“重箱の隅を楊枝でほじくる”ように、“片言隻句”をあげつらうことに終始しているので、聞いているうちにはなはだ不愉快になった。

 審議終了後に、各党の理事たちが議長席を物々しく取り囲み、理事協議の結果、不規則発言等が多すぎるので与野党共に自粛するように、と委員会に対し議長から特に発言があったのはとんだ茶番だった。参議院は確か“良識の府”と謳われていたはずだ。“言葉は身のあや”言葉はその人柄、人格を表すといわれている。この言葉を、選良の諸氏は熟読玩味してもらいたいものだ。

 それにしても、“貧すれば鈍する”あるいは“馬痩せて毛長く、人貧しければ智短し”ともいうが、長年第一党だった自民党がすっかり野党慣れして長期的な展望に立った政策が出てこないのは呆れるばかりだ。相撲の世界では、降格したお相撲さんは、その番付の地位に相応の相撲しか取れなくなる、といわれているそうだ。いらぬ節介とは重々承知ながら“他山の石”としてはいかが。“寸鉄人を刺す”(The tongue is not steel, yet it cuts)という。国会の諸先生の研鑽を願うや切。
 

2010年01月22日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 158

 またまた、“有為転変は世の習い”とはいえ、鳩山首相はじめ民主党の議員諸氏はさぞかし波乱万丈には慣れてはおいでだろうが、あまりにも急激な世間の風向きの変りようにはいささか恐れをなしているのではないだろうか。つい先日、絶対的ともいえる国民の圧倒的な支持を得て衆議院で過半数を制し政権交代を実現したばかりなのに、いまや批判の矢面立たされている。一夜にして,OO議員、あるいは、OO衆議院議員が一転してOO容疑者になるや、まるで有罪が確定したかのようにマスコミが寄ってたかって叩く。“容疑者”とは、疑いがあるというだけで、まだ公訴もされていないのだ。国民もマスコミも、気が早すぎはしないか。金の問題は問題として、それこそ専門家の検察に任せ、民主党の新しい政策が軌道に乗るのを待つべきではあるまいか。こんな調子では、いかなる政党も成長できないのでは。マスコミも検察の代弁者、あるいは正義の騎士気取りはよして、有罪が確定するまでは無罪であるという大原則を忘れてはなるまい。
 
 ところで、“容疑者”とは想像するに英語のsuspect あるいはsuspected personの訳語ではないかと思われるが、適訳過ぎていかにも疑わしい印象を与えるのは、過ぎたるは及ばざるに如しの感無きにしも非ずだ。かつて、suspectには敬う、尊敬するというほどの意味もあったようだ。しかしながら、われわれもそうだが、公人は特に発言には十分留意する必要がありそうだ。“も舌に及ばず”四頭立ての馬車でも、口から出た言葉には追いつけない。英語では、A word spoken is past recalling。あるいは、When the word is out、it belongs to another。という。そこで早速、妄言多謝。
“ミミズのたわごと”と笑殺あれ。
 

2010年01月15日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 157

 “有為転変は世の習い”とは重々承知、身にも染みていいるが、日本航空の倒産には驚いた。一体、どうゆうことをしたために、あるいは、しなかったために倒産したのか諸説あるが、なんとも理解できない。やはり、“親方日の丸”が悪かったのか。かつて私も就職試験を受けるときに、先輩たちから目先にとらわれず将来性のある会社を選べといわれた。まことに御もっともなれど、それが至難の技なのだ。日航のOBたちも、いまさら年金の減額の憂き目を見るとは夢にも思わなかったことだろう。だが、それぞれに一半の責任はあるはずだ。“人生、一分を減省せば、便すなわち一分を超脱す”人間はある面で一部を減らし省くと、他の面で超越し益が生じる。人生減省一分、便超脱一分。(菜根譚)さらに、“ひろければ則ち万鐘も瓦缶がふの如し”(菜根譚)物事を広い視野で考えると、高額の鐘、すなわち報酬も瓦缶(つまらない土器)程度にしか思えない。

人事代謝あり、往来古今をなす”人事有代謝 往来成古今(五言律詩、孟浩然。歳月がたち、人が去ってまた来て、過去が現在になる。

 “落日五湖の遊、煙波えんば処処に愁う。浮沈千古の事、誰とともにか東流に問わん”落日五湖遊 煙波処処愁(五言絶句、薜蛍せつえい) 落日の太湖に小船を浮かべて遊ぶ。靄と波が立ち、憂愁がしきりに迫ってくる。人生の浮沈は昔からの倣(なら)いとはいえ、この心情を誰に話したものか。

 しかし、“山のあなたの空遠く、幸い住むと人の言う”(カール・ブッセ)し、“人生いたるところに青山あり”とも言う。やはり、人生の苦楽は考え方一つか。
 

2010年01月08日(金曜日)更新

ユーモアクラブのためになるユーモア講座 156

 遅ればせながら、みな様明けましておめでとうございます。今年は寅年だそうで、トラとくればなんとなくよい年になりそうな気がする。“虎に翼”などと言うはなはだ意気盛んな喩えもある。もともと勢いを得ている者がさらに勢いを得る、めでたいお話。“虎は千里行って千里帰える”この諺は、虎の抜群の行動力と、子どもに対する情愛の深さを表している。“虎は死して皮を残し、人は死して名を残す”己に恥じない人生を送れとの教えで、立身出世しろとの意味ではない。虎にまつわる諺、名言、喩えは概して好意的なものが多いようだ。“虎騎の勢い”真意は、いったん難事に取り組んだら、最後までやり通せ。“虎穴に入らずんば虎児を得ず” “虎嘯いて風烈しく、竜興りて雲を致す“ 虎うそぶいて竹林に風起こり、竜がおこるや雲が湧く。同類は相呼応する。名君あれば良臣いずる。さて、わが国ではいかがなものか。

 中国や日本では、虎にまつわる諺の類は枚挙まいきょいとまなしの観だが、虎に関する英語の諺は皆無といっていいだろう。虎がアジア特産のネコ科の猛獣であることに思い当たれば納得がいく。しかし、英語のほうではトラの評判はあまりよくない。Tigerの意味にはよくもまあ、荒くれ者、残忍な男、猛烈な男、精力的な男、さらには放蕩無頼の男まで揃っている。余談ながら、tiger milkあるいはtiger sweatには強い酒、安酒の意味もある。そうそう、同様にトラといえば、強いものの喩えにも使われているが、日本では酔っ払いの俗称でもある。寅年のめでたさに、つい羽目をはずして大虎になりませんように。ご懸念無用。これは自戒の言葉です。
 
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