映画と笑いの今昔物語

日本映画に関係した人たちの、 名前の変遷なら私が一番知っている

 
2018年11月
01 02 03
04 05 06 07 08 09 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
 
 
永田哲朗
昭和6年生まれ、北海道釧路出身。
昭和30年早大法学部卒、双葉社を経て、45年出版ビジネス、50年永田社設立。
月刊誌「旅と酒」「熱血小説」「○秘桃源郷」「おとこの読本」「焼酎」「実話MUSASHI」書籍「経絡の原典「現代ビジネストレンド」等発行。著書「殺陣―チャンバラ映画史」「日本映画人改名別称事典」共著「右翼民族派事典」「全学連各派」「時代小説のヒーローたち」など多数。
チャンバリストクラブ創立者。

ご意見・ご要望をお寄せください

 
ユーモアクラブトップに戻る
<<前へ 123456789101112 次へ>>

2016年05月10日(火曜日)更新

ムカつく世相に怒りの一言

第15号 考えてほしい週刊誌の貸出し期間

 私は「週刊新潮」と「週刊文春」をずっと購読しているが、「週刊ポスト」も読もうと思って図書館に予約するようになった。週一回は図書館に行く。図書の借入れ期限は二週間である。順調に回ってもたいてい三カ月はかかる。それがこのところ半年になった。読者が増えたせいもあるが、一人でたっぷり十日も二週間も返さない人がいるのが原因だ。
 常識的には週刊誌はせいぜい三日もあれば隅から隅まで読めるだろう。返しに行くのが面倒くさくて気の向くままで放って置いている人がいるのだろう。「あと三、四人です」といわれて二カ月待たされるということは、そうとしか思えない。私は現在、去年の十一月の号以降という順番だ。二、三カ月は仕方ないが、半年前の週刊誌なんて連載小説でも読むなら別だがアホくさくなるくらいだ。
 図書館の係員に「図書は別にして週刊誌の期限は一週間にするようにしてほしい。これは一つの決まりだろうが改めるようにしてください」と何回もいっているが変わらない。引き続き読むつもりだけれども、これは利用者の自覚を促すことが先決だと思っている。「文句があるなら買えばいいじゃないか」・・・それはおっしゃる通りだが、何かシャクにさわって仕方がない。同じ読書人としてのマナーに欠けるのではないか。私は週刊誌は借りたらそこで読んで返却するようにしている。何か資料的なものはコピーすればいいんだし、できるだけ早く回すように心掛けている。
 同じ図書館利用者として、同じ読書人として、皆さん週刊誌は早く読んで早く返すようにしようじゃありませんか。そして図書館の規定も週刊誌の場合は一週間以内にしていただきたい。
 次に、これは最近グッと少なくなったそうだが、本の切り抜きがあること。今はコピー機を図書館に備えているから、必要部分はコピーすればいい。それでも過日、週刊誌のグラビアページを何ページか抜取っているものがあった。
 学生時代コピー機なんて文明の利器がなかった頃、懸命にノートに書き写したものだ。今も手許にそのノートが何冊も残っている。あの苦労、涙ぐましいばかりだ。二年前。「戦前戦中右翼民族派組織総覧」という大冊も出すことができて、六十年前、「社会運動通信」という新聞を書き写したものがようやく役に立った。旧くなってすえた臭いが、一ページ開くごとに鼻をつき、細かいゴミが拡がって、ハンカチに唾を何回も吐く。早大の図書館部員もイヤがって、口と鼻をハンカチで覆って運んで来た。館の休日と日曜を除いてほぼ連日一年間は通った。今だったら一ヵ月足らずでコピー出来ただろう。小さな記事ならいいが、団体の綱領、役員等となると結構期間はかかる。よっぽどその部分のページを引き裂いてという誘惑にかられたこともあったが、それは流石にできなかった。
 そんな往時を思い返すと、いま時、本をムシったり破ったりするなんてことをする輩がいるのは許せない。
 今、スマホや何かで、パッと見られる時代になって、本の価値が下がった。出版関係者の一人としては残念な思いはするが、なお本にこだわり出版物に未練を持っている。私は書籍、雑誌に限らず、切抜きを、コピーの類まで、自分の嗜好、趣味に関するものを集めるヘキがあり、他人様から見ればゴミにしか過ぎないものまでがガッサリ収集している。
 実際、古書店などに売ったら二束三文、あまりの低い評価に呆れてものがいえなくなってしまう。同好の士に引き継いでもらうのがベターだと思っても、そううまくいかないものだ。本は場所を取るからだ。知人で本やビデオをうず高く自室に積んで、グラッときた時にそれが崩れて怪我をした者もいる。
 お宝探偵団に出すような物なら家族も納得するかもしれないが、本じゃねぇ。
 いや、図書館の話から、とんだグチになってしまった。これもご時勢です。どうも失礼!
 

2016年01月22日(金曜日)更新

ムカつく世相に怒りの一言

第14号  薬局よ 長時間待たせるな

 私も年相応に何だ彼だと病院へ行く回数が増えたが、そこでいろいろ面白くない現象にぶっつかったり、不条理なことを見聞きしたりする。
 一番アタマにくるのは昼の休憩時間のことである。誰だってそれは当然のことをいえばそうだが、休憩は一時間くらいにしてもらえないだろうか。それが二時間、ひどい所になると三時間休みとなる。午前中に行って順番でこの時間にぶっかったらどうなる? 半日どころか一日マルつぶれだ。私自身、最近休憩三時間の医院と薬局に遭して唖然としたので告発した。

 薬局が便乗するかのように、二時間、三時間の休憩時間を設定している格好だ。辛うじて午前中に診察を終えた患者も、薬を受取る段になって、無為に二時間、三時間を過ごさなければならないのだ。これがちょっと交通不便な所から、わざわざ出かけてきた人など、目も当てられない。たとえばバスが1時間に1本とか2本だったら、さらにバスを一便間に合わなかったために、一時間も時間を待たねばならないのだ。冬の寒い日、夏の暑い日、こんな調子で時間を過ごしたら、病院へ行ったためにかえって病気になったりするんじゃなかろうか。

 公共の病院は受付た患者を昼時間も診ている所が多い。医は仁術ならぬ“算術”になっていると嘆いても始まらないが、二時間も三時間も昼休みをとる職業などどこにもない。医師が一人の場合はある程度神経も使うことだし、仕方がない場合もあるが、薬局がナンで休むのかね? 一人二人の薬局は存在しない。交替で休めばいいじゃないか。薬局は薬屋さんでしょ。商売でしょ。病院、医院の先生じゃないんですよ。白い服を着たからってエラそうにしないでもらいたい。商売人なら休む暇などない。トンだはき違いをしていると思う。医者の処方箋に従って薬を練ったり調合したりするケースもたまにあるが、いまはたいてい製剤化されたものが揃っている。薬局はそれを取り揃えるのが主たる仕事になっている。だから薬局は休むな。患者というお客さんのためにキチンとサービスしろ。スーパーとか大型店舗の中にある薬局は休憩などしませんよ。患者も黙っていないで、せいぜい三十分ぐらいの休憩時間は認めて、患者側の都合に合わせるよう皆でいうべきだ。

日本の医療行政そのものが病院サイドに傾いているという識者がいる。患者、病人は医学・医療についてほとんど無知である。医者のいいなりになっている。これは医者を信頼する以上仕方がない。最近、この“聖域”もいろいろマスコミによって、素人にもある程度分かるようになってきた。医者の説明をよく聞いて自分でよく納得することが第一。同病の知人がいたらその人たちの医療生活を聞くとか、いろいろなマスコミ情報も読むとかして、医者まかせにしないことも大切だ。それは自分の問題だが、薬局の休憩時間についてはガツンと対処することを提言する。
 

2015年10月30日(金曜日)更新

ムカつく世相に怒りの一言

第13号  電車の優遇席について

 都営地下鉄の先頭車が「女性専用車」としてある。ホームにもしっかり「女性専用車乗車口」と赤く書かれている。しかしどれを見ても“女性専用”とか“女性優待”などにはなっていない。こんな実行もされないことを知りながら、ことさら謳っているのはナンセンスとしかいいようがない。
 高齢者、身障者向けの優遇席が各車輌にわずかずつある。JRや私鉄の車輌にもあるが、そんなもの全く無視されている。こういう特別席を守っているのはバスくらいのものじゃないか。
 どうせ実行されないなら始めからやらなけりゃいい。ホームに麗々しく書かれてあるのを見ると、アホくさくなったり腹立たしくなったりするのは私だけじゃあるまい。
 法律でもないし、何か罰則があるわけでもないから、みんな無視するわけだが、120パーセント、150パーセントと乗客が混む満員電車にこんな規則を設けることがおかしいのだ。無駄な抵抗とはこのような状態をいうのだろう。
 それにしても私たちが学生の頃は、お年寄りなどにソク、席を譲ったものだが、いまの学生は躍り込むようにして席を確保し、目の前にお婆さんが立とうがお爺さんが立とうが一切知らんぷりしてスマホなどに夢中になっている。
「時代が違う」といわれればそれまでだけど、情けない現象ではないか。小学校、中学校の先生が、さりげなく指導できないものだろうか。サヨクもウヨクもない。人間として成長する過程で、ごく自然に見につく教養のようなものだ。
 戦前は「修身」という科目があって、忠孝の教えやら礼儀作法やら説法を聞かされた。いま、そんなことを持ちだしたら誰も相手にしないだろうから、いっそ「異性にモテる法」としていろいろなマナーを吹き込んだらどうだろう? ちょっとした気づかいが目立って好感をもたれる、そのあたりから自然にテクニックを身につけさせるのだ。
 ハナから相手にしない、ソッポを向く手合いがいるのは当然だから、それは放っておいて、好奇心をあおって多数派を形成するという形が無難な方法だろう。別段“異性”を意識しなくても自分の周囲の人たちに好感を持たれるようにすることが、社会に出てからいかに有利であるかということを知らせるわけだ。若いうちはたいていの者は目立ちたがり屋が多いから、それをくすぐるのも一つのテである。
 話は変るが、地下鉄に限らず各駅のトイレにナンバープレートがついているのは、ありや何かね? JR、私鉄、地下鉄などが交差する大きな駅ならば必要かもしれないが、単線の駅なのに、トイレにナンバーがついているのはウザったい。何番の所で小用を足そうがどうってこたないだろう。そんなことに費用をかけるよりは、常に清潔で気持ちよく客が使えるように管理すればいい話だ。
 とに角、便座を全部腰掛にするのが先決だと思う。身障者や高齢者にとってはそれが一番有難いはずである。
 私は駅のトイレを使っていていつも気にするのは「もう一歩前へ」とか「汚さないように気をつけましょう」とか書かれているのに、便器の周りがビショビショになっている所がほとんどなことだ。あれは使用する高齢者の小便の切れが悪いからだ。用を足したつもりでもタラタラと残りが出る。若い頃は勢いで横にハジキ飛ぶこともあるが、年をとってからはそんなことはない。便器を縦長にするのが最良の方法だろう。
 確かどこかでそういう便器を見た覚えがある。ああ、この調子で便器が改良されるんだなあと思ったのだが、一向にそういう縦長の便器が増えていないのが不思議だ。そりゃ改良するにも金がかかるから直ぐには変らないかもしれないが、余計なプレートを作ったり貼ったりするよりは、実質的に便器を改良していくことの方が重要だと思うが如何?
 

2015年08月04日(火曜日)更新

ムカつく世相に怒りの一言

第12号 時代劇小説は変った! 映像の世界も括目せよ

 私は『殺陣!チャンバラ映画史』を書き、その縁で「チャンバリストクラブ」が生まれ、現在も細々ながら続いている。そういうことでいささかチャンバラに関してはうるさいと認められてきた。
 ところが、能の『夜討曽我 十番斬大藤田』というビデオを頂戴し、見てブッ飛んだ。能は幽玄荘重な伝統芸である。私は舞台を見たこともないし、そのスローモーな動作にハナから拒否反応を示していた。というより全く関心がなかった。
 ビデオの内容は、ご存知、曽我兄弟の仇討である。舞うような立回りで、斬られた者はスルスルと退場する。そのうち一人が斬られてバターンと倒れた。その倒れ方がすさまじい。まるで舞台に体を打ち付けるようにバターンと倒れるのだ。東映時代劇でその斬られてのぞける形が見事なことから“カラミNo.1”として有名になった福本清三も顔色を失うだろう。
 あとで関係者に聞いたら、この激しい倒れ方の練習のため、命を落とす人も出るのだという。まさに命賭けの舞台ということだ。
 私は芸の深さ、恐ろしさを知って、自分の単純な“チャンバラ論”の浅薄さを恥じた。時代小説に、能の名人と剣法の名人とが、その奥儀で共通するものを描いたのがあったが、確か荒山徹の作品だと思う。道を究めた者同士のやりとりが、素人の私にも納得できる。
 こういう“哲理”を踏まえたチャンバラならば、何もやたら刀をふり回して、多数の人間の人間を斬らなくても、すばらしいチャンバラ時代劇が作られそうな気がするのだが・・。
 これまで時代劇のヒーローは、美剣士、ニヒルな素浪人、名奉行、隠密、忍者、侠客、名将等、類型的なものが多かった。そこで型破りなヒーローをということで、将軍が江戸城を抜け出し、市井に身分を隠して現われ、ワルを叩っ斬るなんてトンデモ時代劇が二十五年間も、お茶の間の人気を博していたなんてバカげた記録を生んだりするわけだ。
 ここ数年来、時代小説の世界に異色なヒーローが現われ、単なる剣豪や捕物名人たちを押しのけているように見える。たとえば文庫シリーズ十四巻出した上田秀人の『奥祐筆秘帳』など、従来全く表に出なかった奥祐筆という役が、実際その手を経なければ、老中だろうが年寄りだろうが一切ストップしてしまう恐るべき権力を握っていて、身分は低いが肝心要のキーマンがいる。将軍の座を狙う、権力の中枢をうかがうといった陰謀や暗殺に立ち向かう役人とその婿となる若侍の活躍は、三重四重の権力抗争がからまり、忍者同士の抗争など、すこぶる内容が濃く、こういうのを時代劇化したら、政治的背景、推理的要素、そして忍者闘争、謀略、裏切り、危機また危機の連発とチャンバラ・・・。これなら毎回スリルとアクション、女忍者や大奥内部を描くエロチシズムも加わって面白いものが出来そうだ。
 上田秀人には『お髷番承り候』というシリーズもある。将軍の月代御髪侍で将軍サマの身体に刃物を当てることが唯一許される人間だ。それが将軍の密命を受けて、権力をめぐるさまざまな争い、はては将軍そのものを狙う刺客と闘うのだ。単なる小姓とか、伊賀者・甲賀者とかいう警護者と違って最も将軍と密着しているところに目新しい特徴がある。
 坂岡真の“鬼役シリーズ”の主人公はお毒見役だ。魚の小骨一本、毒見役のマツ毛一本落ちていてもソク切腹というキビシい役目を毎日こなしている。しかもこの男タダ者じゃない。ふだんは神妙にお毒見役をつとめているが、幕府の公正な運営を陰で守っている老人の指令を受けて、幕臣中随一とされる剣を揮う。
 これらの全て意表をつくキャラクターは、新鮮であり、有名でないだけ、何をするのだろう、どんなテを用いて陰謀を粉砕するのだろうといった期待感が増大し、グイグイと引き込まれていく。
 ヨロイをガチャガチャさせて大人数を動員し“大作”らしさを誇示するよりは、人間心理のアヤを読むスリル、サスペンス、そしてユニークなアクション・シーンを次々と生み出すこれらの作品はお茶の間族だって惹きつけられるだろう。女忍者とかスパイなどのお色気戦術も豊富だから興味は結構拡がると思う。
 既成のブランドに頼らず、多面多様性のあるチャンバラ・ドラマをとり上げてくれることをTV界に望む。
 

2015年04月22日(水曜日)更新

ムカつく世相に怒りの一言

第11号  クソ・リアリズムのすすめ

 私は中学一年生の時、剣道の先生に正座(静座)の仕方を教わった。座る場合、足の親指を重ね、その上に腰をおろす。そして時々、親指の右と左を交替々々にするのである。姿勢をくずさず、ほんの少し尻を上げ気味にして親指の重ねを替える。これだと初めての人でもかなりの時間モツはずだ。
 時代劇を見ていて気がつくのだが、たいてい足をぺったりと重ねて座っている。この座り方だとすぐ足がジビレて苦しくなる。ガマンしていると立とうとする時、立てなくなる。立てても中腰のままで、ヨレヨレになるのが普通である。
 ただ歌舞伎出の人たちは、幼少の頃から鍛えられているから、平気なのかもしれない。これをいつか役者さんに聞こうと思っていたが機会がなかった。市川雷蔵など、極端に深く重ねている場面を何度か見たが、ホント大丈夫かしらんと心配したものだ。ところが、親指を重ねて座っていたのは藤田まことだった。彼は舞台もやっているが、歌舞伎系ではないので、そういう座り方を教えられたのだろうか。
 皆さんもTVなど、よく見てください。
 座り方もそうだが、よくサムライは待たされる場合が多くある。五分や十分の話ではない。何時間もだ。相手が上役の場合は、ただ待つだけ。中には意地悪でわざと待たせるやつがいる。人を待たせておいて将棋とか碁を打っている。ザケンナ、この野郎である。しかし待つ身はジーッと身じろぎもしないで待つ。体もくずせないのだからツラいよ。
 昼間から待って、夜、行燈に灯りを入れに家人が来る。長い時間がたっていることがわかる。それでもまだ相手は現われない。ナメられているわけだ。これはたいてい頼みごととか、謝りごととか、こちらに弱みがある場合、もう一つは極端な身分違いの場合である。相手がこちらの人間を推し量る意図でわざとやっていることもあるだろう。
 長時間に及んで「排泄」はどうする? 「ちょっとトイレを」なんていえないよ。身分の高い人物の屋敷などでは、厠に行くまで廊下を幾つも曲がってという構造が多いから、ガマンしてたら間に合わないなんて事態にもなりかねない。
 サムライは幼い時から道場などで修練を積んでいるから、相当ガマンできるだろう。しかし人間の忍耐力にも限度がある。精神的屈辱、肉体的苦痛、これで追い込まれた場合はどうすべきか、どう切り抜けるか、粗相をしたら切腹ものだ。
 こういうギリギリの危機を、時代劇はもちろん、時代小説でも描いたものは聞いたことがなかった。坂岡真の“鬼殺シリーズ”の中で、下の方の不始末で腹を切った話がちょっと書かれていたように記憶するが、このようなことを策を用いて相手を陥し入れるというような下卑た、卑怯な手段をテーマにした小説なり映画作品が生まれてもいいのじゃないか。
 何もチャンバラで正々堂々渡り合うだけが勝負じゃない。暗殺、毒殺、人質をとる、金銭で相手の立場をなくす、スキャンダルを流す等々、表と裏を使ったいろいろなやり方はあるわけだが、この生理的な人間の弱点を利用するキタナい手はあまり使われていないだけに、気分いいものじゃない。人間の尊厳とか、羞恥心がそんなところでガラガラに崩れてしまう。それこそホントの“クソ・リアリズム”というものだ。
 
ユーモアクラブトップに戻る
 


ページTOPへ